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シリーズ:20世紀を生きぬいた巨人達・第2回
「“レッド・ツェッペリン”になりたかった、ジェフ・ベック」
 
photo by Robert Knight
At The Las Vegas Show,Feb 25th 2001

 

 ジェフ・ベック様。勝手に師匠と呼ばせていただくことをお許し下さい。

1、プロローグ

 20世紀最後の月に、またもや師がやってきました。
 前年の1999年に、実に10年ぶりのオリジナルアルバム、『フー・エルス!』を発表し、待望の来日を果たしたと思ったら、翌2000年には早くも新作『ユー・ハッド・イット・カミング』を発表、そして12月にはまたもや日本ツアーです。ここ数年の活動とは別人のような、ハイペースぶり。何がここまで師を駆り立てているのでしょうか?
 1999年の来日公演は、凄まじいパワーにあふれていて、この極東のデキの悪い弟子は、往復ビンタをかまされたような気分になったものです。「オメー、なにショボくれた中年になりさがってやがるんだ!まだまだ老いぼれるには早いんじゃないか?シャキッとせんかい!シャキッと。オレを見てみろ!54歳にしてまだまだバリバリよ!」まさに、そんなセリフがピッタリの、猛烈にパワフルなステージでした。かくして私は、師の強力なオーラを浴びて、すっかりパワーを取り戻したのであります。

 そして、2000年。
 12月1日の東京国際フォーラムは、異様な緊迫感にあふれていました。
 師は、最新作『ユー・ハッド・イット・カミング』で試みた、コンピューターとのセッションをここではじめて披露したのです。茶目っ気たっぷりな師は、モニタースピーカーに耳を当てて、コンピューターのリズムをつかもうとするのですが…。「師匠!コンピューターと同期演奏する時は、クリックサインをモニターヘッドフォンに送らなきゃ、無理っすよ!」と、思わず叫びたくなるほどの、危なっかしいステージが展開されたのでありました。なんとか頽勢を挽回しようとしたためか、師はかつて見たことがないぐらい、神がかり的なプレイを連発しました。それにしても、このチャレンジ精神はどうでしょう?まだ、新しい可能性を試行錯誤して、自己との闘争を繰り返している。なんという、気高いお姿でしょう!師は神話や伝説ではなく、現在進行形のミュージシャンなのです。ほんとうに、背筋がピンっと伸びる思いがいたします。

 もはや、1ギタリストではなくトータルなミュージシャンとして完成した感のある、エリック・クラプトンの円熟ぶり、レッド・ツェッペリンの解散以降まったく生気を失ってしまった、ジミー・ペイジの凋落ぶり。かつて、ブリティッシュ3大ギタリストと呼ばれた同輩と比較すると、師のアクレッシヴさがよくわかると思います。

 そんなジェフ・ベック師匠が、レッド・ツェッペリン・コンプレックスにさいなまれる、つらく長い迷いの時代を経験してきたことなど、もはや誰も覚えていないのではないでしょうか?

 

 

 

 
2、ジェフ・ベック・グループとレッド・ツェッペリン

 師がヤードバーズを脱退し、ロッド・スチュワートらとジェフ・ベック・グループを結成、入魂のデビュー・アルバム『トゥルース』を発表したのは、1968年8月のこと。ヴォーカルとギターのカラみを前面に押し出した新しいスタイルは、絶賛をもってロック・ファンに受け入れられたのでした。師は「ついに、オレの時代がやってきたか!」とばかりに、得意満面だったことでしょう。しかし、この絶頂期は長く続かなかったのです。翌1969年1月、レッド・ツェッペリンがレコード・デビューいたします。これをもって、ロック・ファンの話題の中心はジミー・ペイジ一党へと移ってゆくのでありました。

 師がご機嫌斜めになるのは、この頃からなのです。

 1969年2月、ジェフ・ベック・グループからロン・ウッド(B)、ミック・ウォーラー(Ds)が脱退。(師がクビにしたとの説あり。)その後、ダグラス・ブレイク(B)、トニー・ニューマン(Ds)を後任とするが、全米ツアー初日にダグラスを解雇。以降のスケジュールをすべてキャンセルするという暴挙にでます。4月になってロンを復帰させ、ようやく落ち着きを取り戻したように見えたのですが、どうでしょう?口をついて出るのは、ジミー・ペイジの悪口ばかり。どんなことかといえば、「ジミーの野郎!オレのアイデアをパクりやがって!そのうえ、なにも「ユー・シュック・ミー」までマネしなくったっていいじゃねーか!」とか、「「ベックズ・ボレロ」(『トゥルース』収録)をそのまま「ハウ・メニー・モア・タイムズ」(『レッド・ツェッペリン』収録)の間奏に使うんじゃねーよ!」とか、挙げていったらキリがないのです。(筆者は個人的に、師の「シェイプス・オブ・シングス」でロッドが♪ジョン、ジョン、「カム・トゥモ~ロ~」♪と歌うところなんか、モロにレッド・ツェッペリンの「グッドタイムズ・バッドタイムズ」じゃないかい?と思うのですが…)

 でも、これってジミー・ペイジの側から言わせてもらえば、こういうことでしょう?「「ユー・シュック・ミー」はスタンダード・ナンバーなんだから、パクるもなにもないじゃないか?キミぃ。言いがかりをつけるのは、ヤメてくれないかな。」、「「ベックズ・ボレロ」?アレはボクが作曲した曲だよ!ちゃんとクレジットされているでしょう?よく見てからものを言ってくれないかなぁ。」…。ジミー・ペイジは、「しょーもないダダをこねるなよ!」と呆れ返ったことでしょう。

 だいたい、パクりだなんだと言ったら、この時期のイギリスのギタリストたちはみんな同罪になってしまいます。ブルース・ベースのヘヴィーなロックを、サンバーストのレスポール・モデルでキメることが、ブルース・ブレイカーズ時代のエリック・クラプトン以来の、最高にヒップな流行だったんですから。ピーター・グリーンもポール・コゾフもルーサー・グロヴナーも、み~んな仲良くサンバーストのレスポールだったんです。(あまり知られていないことですが、師もこの当時、ブラックではなくサンバーストのレスポールを使用していた時期があるのです。ホントに短い期間ですけど。)

 師だって、このような時流は充分に理解していたはずでしょう。それでも、前述のような発言をしてしまうのは、Why?なぜ?それは、カンタンなこと。師はレッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムを聴いた瞬間に、「こりゃー、かなわねーよぉ!」と思ったのです。彼らのどこに?ズバリ、それは超強力なリズム・セクションに!このまま、ジミー・ペイジと同じ方向性で勝負するためには、レッド・ツェッペリンと同等もしくはそれ以上のリズム・セクションが必要になってくることを、師は痛感したのでしょう。しかし、そんな人材がカンタンに手に入らないことも、師は誰よりもよくわかっていたのです。その結果、この時期のジェフ・ベック・グループのリズム・セクションはネコの目のように頻繁にメンバー・チェンジを繰り返し、師はジミー・ペイジの悪口をさかんに言うことで少しでも鬱憤を晴らそうとしたのでした。(大人げないと言えなくもないが…)


 

photo by Robert Knight  

3、カーマイン・アピスとティム・ボガード

 1969年6月、ジェフ・ベック・グループはセカンド・アルバム『ベック・オラ』を発表。この頃になると、師はノイローゼ状態に陥っていたようで、あの“ウッドストック・フェスティバル”への出演も拒否してしまいます。(あー、もったいない!)一説によると、どっかのフェスティバルでレッド・ツェッペリンと同じステージに立ち、その人気のすさまじさを実感してしまったためだ、とも言われております。
 ところが、そんな師を見かねて、ありがたいアドヴァイスをしてくれたキトクな人物がおります。誰あろう、レッド・ツェッペリンのドラマー、ボンゾことジョン・ボーナムでありました。彼は、師とふたりでお酒を飲んだそうです。

ボンゾ「まぁまぁ、ジェフ殿。今宵は存分に過ごされよ。」
ベック「これは、ボンゾ殿。かたじけのうござる。拙者すこぶるよい気分でござる。 それにしても、ジミーの奴は幸せ者よのう。お主のような、腕利きのドラマーに恵まれて。それに比べて拙者ときたら…。あぁ口惜しや。口惜しや。」
ボンゾ
「あいや、ジェフ殿。そのようにお嘆き遊ばすな。拙者によい思案があるぞい 。お主、あめりか国の“ばにら・ふぁっぢ”なるグループを存じておるかの?」
ベック
「いや、一向に存ぜぬが。」
ボンゾ「ならば、これを聴くがよい。」
   (ボンゾは、ヴァニラ・ファッジの「ショット・ガン」をかける。)
ベック「おおぅ、これは…。なんという豪の者じゃ。」
ボンゾ「どうじゃ、この者たちならばお主の眼鏡にかなうじゃろう。拙者、以前にこの者たちと共にあめりか国を巡業したことがござってのう。面識もござる。お主に異存がなければ、拙者が口利きをして進ぜるが、いかがかのぅ?」
ベック
「こっ、これはかたじけない。お主は、なんとすばらしき好漢じゃ。このご恩は拙者、終生忘れるものではござらん。かたじけない。かたじけない。」
ボンゾ「なんの、なんの。かんら、からから。まっ、もひとつ、いかがかの?」

 かくして師はカーマイン・アピス(Ds)とティム・ボガード(B)を紹介してもらうことになったのでした。「よし、いけるぞ。ロッド・スチュワートとこのリズム・セクションが手に入れば、レッド・ツェッペリンなんかメじゃねーぞ!」、師は狂喜乱舞したことでしょう。

 しかし、運命の女神は師にほほえんではくれなかったのです。

 1969年11月2日、自慢の愛車でロンドン郊外をドライブしていた師は、突然飛び出してきた犬を避けようとして自爆。全治三ヶ月の重傷を負ってしまいます。(犬なんかはねちまっても、よかったのにー!)このため、師はしばらくの間、音楽シーンから遠ざかることになってしまうのです。
 この時、飛び出してきたワンちゃんは、はたして神の使いか?悪魔の手先か?

 

 

 

       
神が遣わしたドラマー
ボンゾことジョン・ボーナム!


「ジヨン・ヘンリー・ボーナム!
モビー・ディック!
ディック!ディック!」(笑)


   
御存じ、レッド・ツェッペリンの組員たち!

4、第2期ジェフ・ベック・グループ

  師の入院中に、カーマイン・アピスとティム・ボガードは、「オレたちゃ、遊んでいるわけにゃあいかねー。一銭でも稼がにゃなるめーよ。」とばかりに、カクタスに参加してしまいます。また、ロッド・スチュワートは、「こっちの方が居心地いいんだよね~。」と、ロン・ウッドと共にフェイセズに参加。師は、ひとり取り残されてしまいます。師にとって、この時のダメージは、心身ともにかなりキツイものだったようで、完全復帰までに2年近くの歳月を要してしまいます。

 結局、新生ジェフ・ベック・グループ(俗にいう、第2期ジェフ・ベック・グループ)が、アルバム『ラフ・アンド・レディー』を発表するのは、1971年10月まで待たなければならないのです。

 コージー・パウエル(Ds)、マックス・ミドルトン(Key)、ボビー・テンチ(V)、クライヴ・チェイマン(B)からなるジェフ・ベック・グループは、それまでのブルース志向とは異なり、メンフィス系のソウルやファンクをベースとした新たな分野を開拓いたしました。このメンバーが残した2枚のアルバム『ラフ・アンド・レディー』、『ジェフ・ベック・グループ(通称“オレンジ”)』は、ジェフ・ベック・ファンの間では“名盤”として評価の高い作品です。ちなみに筆者も、この“オレンジ”が師の最高傑作であると、評価しているひとりです。

 師には、2年のブランク期間に、自分の進むべき道が見えてきたのではないでしょうか?そして、この時期の再重要人物は、マックス・ミドルトンです。彼がグループに持ちこんだジャズ・フレーヴァーは、ともすれば泥臭くなりがちなこの種のサウンドに、洗練されたスマートさを与えました。さらに、彼は師を、インスト路線へと導いてゆくのです。ようやく、師の眼前には、明るい未来が開けてきたようです。『ジェフ・ベック・グループ』のラスト・チューン、「ディフィニットリー・メイビー」はまっすぐアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』へとつながっているはずなのです。ところが実際には、この間に、その流れを一時分断する、師の活動の中でもっとも不可解なグループが存在しているのです。

 それは、BB&A。ベック・ボガード・アンド・アピス。ちなみに、筆者はこのトリオが大嫌いです。

 

 

 
photo by Robert Knight        
  ここからの5点の画像は、涙が出るくらい貴重なモノです!

1969年5月7日、ボストン・ティー・パーティにおける、
第1期ジェフ・ベック・グループのライブ風景。
photo by Bill Armstrong
5、ベック・ボガード・アンド・アピス

 師は、第2期ジェフ・ベック・グループで、新しい方向性の感触をおぼろげながらにも感じていたはずなのに、カクタスが解散してカーマイン・アピスとティム・ボガードがフリーになったと同時に、早速、2人を自分のグループに参加させたのでした。そのうえ、マックス・ミドルトンがグループを去り、ヴォーカリストが未定の状態でもお構いなしに、グループをスタートさせたのです。師をここまで駆りたてたものは、いったい何だったのでしょう?そんなにこの2人とヤッてみたかったのか?

 BB&Aがデビューしたのは1972年9月のこと、同時期のレッド・ツェッペリンはすでに名作『4』を1年前に発表し、スワン・ソング・レーベルの設立準備に入っておりました。すでに彼らは、カンペキに独自の世界を確立し、他の追従を許さない地点に到達しつつあったのです。そんな連中に同じ土俵で戦いを挑んでも、勝ち目がないぐらいのことが、わからない師でもあるまいに。そんなにレッド・ツェッペリンになりたかったのか。それほど、レッド・ツェッペリン・コンプレックスは根深いものだったのか!

 常に時代を先取りしポジティブな姿勢を貫き続けている師が、BB&A時代だけは別人のように、一時代前に使い古されたような音をなぞっております。(このネガティブさが、たまらなくイヤだ!)ファッション的にも、黒っぽい衣装にトゲトゲのリストバンドなどをキメて、レス・ポールをしっかり構えられてしまうと、どうも後のヘヴィメタ兄ちゃんのようで、イカさないことこの上もないと思うのですが。

 そんな自分になんとなく後ろめたさを感じていたのか、この頃の師はいつも一歩引いているように見えるのです。そして、あることが引き金になって(後でお話しします)、BB&Aが解散するとすぐに、スタジオにこもって新作の録音を開始します。どうも、この辺の一連の流れには、師の計画的犯行の匂いがするのですが…。

 師にとって、BB&Aというグループは、「とりあえず一度反故になった約束を果たしました~。」ぐらいの意味しか持っていなかったのではないでしょうか?だからこそ、サッと始めて、サッと終わった。紹介者である、ボンゾへ義理を立てたのかしら?いずれにしても、BB&A解散から『ブロウ・バイ・ブロウ』発表は、両者があれだけかけ離れた音楽性であるにもかかわらず、インターバルが短か過ぎます。BB&A誕生が時期を失していたことを十分承知していた師は、次の構想を抱きつつ、不本意ながらかつての夢をたどってみたのでしょう。そこから何も得られないことは、覚悟の上で…。

 その後、発表されたアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』は、ジミー・ペイジから絶賛を受けることになります。セールス面でも、過去のすべての作品をしのぐほどの大ヒットを記録します。ここに到ってはじめて師は、違ったフィールドからではあるものの、ジミー・ペイジに肩を並べる存在になるのです。1975年のことです。(それにしても、『ブロウ・バイ・ブロウ』の邦題『ギター殺人者の凱旋』というのは、ナンだったのかしらん?)


 

   
   

6、最強のジェフ・ベック・グループ(?)

 さてここで、歴史に“もしも”があったらということで、1969年11月2日に運命のワンちゃんが師の愛車の前に飛び出してこなかったとして、ロッド・スチュアート(V)、カーマイン・アピス(Ds)、ティム・ボガード(B)によるジェフ・ベック・グループがこの時点で誕生していたとしたら、レッド・ツェッペリンの対抗馬になれたかどうか、検証をしてみたいと思います。

 ロッド・スチュアートのシンガーとしての実力は、当時のイギリスにあっては、まずトップ・クラスでしょう。ただし、ロバート・プラントの楽器的なシャウティング・スタイルとは対称的に、じっくりと歌い上げるシンギング・スタイルのヴォーカリストですので、同次元で2人を語るわけにはまいりません。(余談ですが、ロッドの系統にはもう1人、ポール・ロジャースという大御所がおります。ちなみに、筆者はポール・ロジャースの大ファンです。)とはいえ、国民的スターになった後年のロッドを見れば、実力・スター性ともにロバートに勝ることはあれ、けっして劣ることはないと断言しても、異論を唱える人はまずいないでしょう。つまりヴォーカリストについては、違うタイプではあるものの、両者ほぼ互角であるといえるのです。

 カーマイン・アピスは、さすがにジョン・ボーナムが師に推薦しただけあって、折り紙つきの実力者です。むしろ、この世界ではカーマインのほうが先輩で、彼はジョンをラディック社(ドラムスのメーカー)に紹介し、2人仲良く同社のモニターになったそうです。カーマインも、この新人がズバ抜けた実力の持ち主であることを看破していたのでしょう。そもそも2人が知りあったのは、1968年10月の全米ツアー(レッド・ツェッペリンのデビュー・ツアーになる)の時だそうで、以来お互いに尊敬しあう親密な仲になっていたようです。だからこそ、ジョン・ボーナムの急死に際して、カーマインがレッド・ツェッペリンの後任ドラマーの再有力候補に挙げられていたのです。そう考えていくと、パワー・テクニックともに、この両者も互角であると判断してよさそうです。(多少、語尾が弱めに感じられるのは、筆者がジョン・ボーナム“命”であることによるものです。あまり気にしないでください。)

 ギタリストとしての、ジェフ・ベックとジミー・ペイジについては、ここで論ずるまでもないでしょう。往年の、ブリティッシュ・ロック3大ギタリストの2人です。さしずめ、“ゴジラ対ガメラ”(?)といったところでしょうか。

 それでは、ベーシストはどうでしょう。ティム・ボガードは、ひたすら攻撃的にバリバリと弾きまくるタイプ。対するジョン・ポール・ジョーンズは、沈着冷静にツボをおさえたプレイをする、理想的ベーシストの典型。とはいうものの、モータウン・サウンドを研究しつくしたジョンジーのプレイは、地味ではあるけれどかなり高度なものです。ティムを左翼とすれば、ジョンジーは右翼の大ボスというところでしょうか。この2人もタイプが違いすぎるので、同次元での比較はかなり困難です。その上、ティムはずっと流動的な活動をしていた人なので、評価が固まっておらず、ロッドとロバートのように、ファンの支持を基準とした判断もむずかしい状況です。まぁティムのほうが指は早く動きそうですが、まずまず好取り組みということにしておきましょうか。

 このように、プレイヤーの比較というレベルでは、仮想ジェフ・ベック・グループとレッド・ツェッペリンはほぼ互角であると言えます。いや、ニッキー・ホプキンス(Key)を加えると、ジェフ・ベック・グループの方が優勢かもしれません。しかし、これはあくまでもプレイヤーとして見た場合のことで、実はこの“プレイヤーとして”という部分が重要なキーワードになるのです。

 レッドツェッペリンというグループは、実はとんでもない隠し球を持っていたのです。

 

 

 

7、レッドツェッペリンにはなれない(!)

 ジミー・ペイジもジョン・ポール・ジョーンズも、レッド・ツェッペリン加入以前は、共に有能なスタジオ・ミュージシャンとして活躍していました。そして、単に楽器をプレイするだけでなく、レコードのアレンジやプロデュースまで担当することが多かったようです。つまり、この2人は職人的な“プレイヤーとして”ではなく、トータル・コーディネーター的な側面を持った新しいタイプのロック・ミュージシャンだったのです。
 レッド・ツェッペリンのサウンドが、他に類を見ないほど洗練されているのは、このためなのです。だからこそ、彼らは同時代のグループの中で、頭ひとつ抜き出た存在になったのでした。

 ジミーはすぐれた作曲家として名曲を量産しつづけ、ジョンジーはベースのみならず鍵盤楽器も縦横に扱うマルチ・プレイヤーとして編曲・アレンジに才能を発揮する。「カシミール」のようなナンバーは、その共同作業の最たるものです。ジミーにとっては、ギターを正確に弾くことよりも、よい曲を書くことのほうが、はるかに重要な関心事だったのです。(だから、ミスをしているテイクを、平然とレコードにしてしまう?)

 これを、ジェフ&ティムに置き換えると、どうでしょう?ティムは、まさに職人的ベーシストの典型タイプです。とにかく、ひたすら演奏に埋没して、ベースを弾きまくります。BB&A解散の引き金になったのが、そんなティムに対するジェフの不信感だったということは、意外に知られていない事実なのではないでしょうか?
 ジェフはカーマインに対してこんなことを言ったそうです。「ねぇ、カーマイン!ティミーって、バッキングのできない人なの?」…。まぁ、年がら年中、どんな曲でもお構いなしに♪ドリ、ドリ、ドリ~ン♪とベースを弾きまくられたヒにゃあ、たまりませんよねぇ。あの、ジェフ・ベックがボヤくぐらいだから、これはスゴイことです。このティムに、ジョンジーの役をさせる?そりゃあ誰が考えたって、無理な話じゃありませんか?

 そういうジェフ・ベックだって、作曲やプロデュースといった部分は、あまり得意ではないほうです。なにしろ、全曲自作、セルフプロデュースをしたアルバムに「ラフ・アンド・レディー」=“粗製濫造”なんてタイトルをつけて、「もう、こんなことはやりたくない。」などと公言してしまう人です。逆立ちしたって、ジミーの真似ごとなんてできるわけないでしょう!
 そういうわけで、たとえ理想のライン・アップが早い時機にできあがっていたとしても、ジェフ・ベック・グループがレッド・ツェッペリンになることは決してなかったと断言できるのです。(まぁ、彼らだけでなく、フリーあたりにも同じことがいえると思いますが…。)

  結局、わが師ジェフ・ベックはレッド・ツェッペリンになることができませんでした。しかし、あれから30年の歳月が経った現在、どちらが勝者になっているのでしょう?

 

 

 

     
今回、イチバンの目玉商品!(笑)

ロッドとジェフが…、いっ、いっしょのマイクで、
歌っとるー!!!!!
 

8、エピローグ

 盟友ジョン・ボーナムに先立たれたジミー・ペイジは、それ以降レッド・ツェッペリンの幻影を追い続けるような人生を送っております。もうジミーは、生きながら過去の遺産になりつつあります。それにくらべて、わが師ジェフ・ベックは、冒頭で触れたようにバリバリ全開の現在進行形ミュージシャンです。師は紆余曲折の末、独立独歩で、ついに他の追従を許さない領域に到達したのです。
 師は、なにくわぬ顔をしていますが、よく考えてみると、これはとてもスゴイことだと思います!ワンちゃんは、やっぱり神の使いだったんでしょう。

 それにしても、わが師ジェフ・ベックは、けっして死ぬことがないような感じがするのですが、みなさんはどう思いますか?
 サイボーグになってでも、生きてそうですよね。
 「早弾き用アーム、装着!」ガシャッ。なんてね。

 


   

PS:70年代中期の『ミュージックライフ』に掲載されていた川柳。
  ジェフ・ベック
「アルバムを 2枚つくって やめる人」(水上はる子さん作)
  え~!それじゃ、現在の活動もそろそろ終わりっすかぁ~?そりゃないぜ、と思いな
  がらも、新しい展開が楽しみだったりする…。
  ジェフ・ベック・ファンって、フラレ慣れてる(???)

 

 

 
photo by Robert Knight  
画像提供:Robert Knight,Bill Armstrong and led-zeppelin.com