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神格化しない、ブラック・ミュージック(第1回)
ハービー・ハンコック

 ハービー・ハンコックは、正統派のジャズ・ピアニストだ。
 なにしろ、あのマイルス・デイヴィス・カルテットに7年間も在籍していたんだから。
 でも、わりとオツムが柔軟なようで、1983年の「ロック・イット」の大ヒットからもわかるように、 シンセでもスクラッチでもMIDIでも、新しいものをスンナリ受け入れることができるみたい。マイルス親分も、「ミュージシャンは、自分が生きている時代を反映する楽器を使わなきゃダメだ。」と言っておりました。

 そんなハービー、70年代にはフュージョンに取り組んでいたんですが、これが、ジャズ・ファンからは、ヒジョーに評判が悪いんだよね。

 

 

   
   

 「大衆に媚びてる。」とか、「甘ったるいBGM。」とか、サンザンな言われようじゃ。
 だけど、そうかな?
 少なくとも、俺ら世代のロック・ファンにとっては、この時期のハービーってイカしてると思えたけど…。そうそう、あの布袋寅泰氏もそう言っていたよ。

 もともと、フュージョンってのは、マイルス親分が提唱し始めたのだ。
 1970年前後のマイルスは、かなりロックに近いところにいた。それまでの、ジャズの主流であるバップ(注1)から抜け出して、モード(注2)を取り入れはじめていたのだ。その結果、ロックだけでなくファンクやインド音楽なんかをジャズに融合して、フュージョンとよばれるカテゴリーが生まれたわけだ。

 マイルス門下生では、ジョー・ザビヌルがウェザー・リポートを、チック・コリアがリターントゥフォーエバーを、ジョンマクラフリンがマハビシュヌオーケストラを、それぞれ結成した。

 ハービーも、自身のルーツであるソウルやファンクに、ラテンなんかをフュージョンさせて、独自のインストを演奏し始めた。ただ、ハービーの作品は、他の連中に比べると、かなりポップで聴きやすいのだ。良質のBGMとしてもOKの、万人受けする内容なのだ。それって、いけないことなのかなぁ?そこらが、「大衆に媚びてる。」とか、「甘ったるいBGM。」とか言われる所以らしい。

 

 

 一般に、この時期のハービーの代表作ということで、『ヘッドハンターズ』がよく取り上げられるけど、このアルバムはまだ発展段階で完成度は低い。むしろ、その後の『マンチャイルド』や『シークレッツ』のほうが、完成度も高くポップな仕上がりなので、聴きやすいのだ。特に、『シークレッツ』では、モータウンの凄腕セッションギタリスト、ワー・ワー・ワトスンと、レイ・パーカー・jr(コイツは名ギタリストだったんだぞ!)の共演がすばらしくて、ギタリストにも、充分楽しめる内容になっている。俺は、これを聴いて、「シャカ、ポーンッ!」っていうリズムカッティングを覚えた。

 まぁ、本物よりもニセモノのほうがいいってことも、世の中にはあるわけで、(自分のお手々でしたほうが、気持ちイイなんてこともあるでしょうが?)ジャズよりもフュージョンのほうがいいと言っても、ちっとも支障ないと思います。ジャズファンの辛口の評論は気にせず、思い切り楽しんだらヨロシ。ひたすら気持ちイイ、ハービー・ハンコックのフュージョンはいかがっすか?

(注1)ジャズでよく使う、コードチェンジをするたびに、スケールをチェンジさせる手法。ジョン・コルトレーンは『ジャイアントステップス』でその極限をきわめた。

(注2)ロックでよく使う、コードチェンジに関係なく、ひとつのスケールでずっとアドリブをとる手法。例えば、ジミー・ペイジは、名演「天国への階段」のギター・ソロを、Aのペンタトニック・スケールのみでプレイしている。この手法は、インドのシタールやブルガリアンヴォイスの通低音(和音の変化に関係なく、ずっと鳴りつづけているベース音)にも通じている。

 

 

 
画像提供:Lad