“アシッド・ジャズ”。 1990年代に一大ムーブメントを起こしたこのジャンルの起源は、1970年代初頭までさかのぼる。ジャズ・レーベルの「プレステイジ(PRESTIGE)」を中心に展開された新しいサウンドは、当時“ジャズ・ファンク”と呼ばれていた。これは、4ビートではなく、ファンクのリズムにジャズの演奏を乗せようとした試みだった。発想としては、後の“フュージョン”に通じるものがあるが、リアルタイムでの評価は決してよいものではなかった。 “大衆に迎合した、堕落したジャズ”という烙印を押され、多くの作品が廃盤の運命をたどった。価値のない中古LPとして段ボールの箱に押し込まれ、バーゲン商品として売られていたものだ。音楽ファンのだれもが、このジャンルを無視していた。 ところが…。 1980年代後半に端を発したクラブ・ブームで、DJたちが好んでサンプリングしたのが、この“ジャズファンク”のLPだった。ファンクのリズムに乗って演奏されるジャズの、この上なくクールなイメージが時代にマッチしていたのだ。リアルタイムでは“大衆に迎合している”と指摘された要素は、見る角度を変えれば“良質のポップス”とも解釈することができる。そして、ジャズ・ファンク”のリバイヴァルが始まった。 バーナード・パーディ、ロニー・リストン・スミス、ジョニー・“ハモンド”・スミス、アイヴァン・“ブーガルー”・ジョー・ジョーンズ、ラスティ・ブライアント…。忘却の彼方にあった作品群が、次々と再発売された。しかもそれらは、DJやラッパーたちがサンプリングすることを考慮に入れて、オリジナルの30cmLPの形で復刻された。俺も、これらのLPを手に入れるために、しょっちゅう下北沢へ通ったものだ。 この、“アシッド・ジャズ”・ブームの立役者になったのが、ブラン・ニュー・ヘヴィーズだ。 | |