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カバーアートは、ゲージュツだ!(第2回)

 ロック・ファンにたいへん人気のある、ロジャー・ディーンです。

 ディーンは、イエスのカヴァーアートを手がけたことで、有名になりました。
 『こわれもの』(1972年)、『危機』(1972年)、『イエスソングス』(1973年)、『海洋地形学の物語』(1974年)、『リレイヤー』(1974年)。中でも、限りなくミドリ~(笑)の、『危機』が衝撃的でした。しかし、カヴァーアートだけで驚いていては、いけません。これらのアルバムはすべて見開きになっており、中ジャケットにもディーンの作品が展開されています。30cm×60cmのキャンバスいっぱいに、その独特の世界が広がっているのです。さらに彼は、ジャケットのみならず、歌詞カードのデザインまで手がけており、イエスのアルバム全体が、ディーンのパックになっているような印象を受けます。

 そんなディーンの作風は、ひとことで言えば、“ファンタジック”。これがまた見事に、イエスのサウンドにマッチしているのです。
 アートと音楽が理想的にタイアップした、最高のサンプルといえるでしょう。
 特にファンの間では、『リレイヤー』のカヴァーアートの人気が高かったと、記憶しております。

 

 

 

 
YES/RELAYER  
 

 ディーンの作品には、大きな特徴があります。
 それは、そのファンタジックな世界に、人影がまったく見られない、ということです。魚や蜂、蛇といった小動物こそ存在しているものの、一連のイエスのアルバムにおいて、カヴァーアート・インナースリーヴ・歌詞カードのどこを探しても、人間は描かれておりません。その淡いトーンのファンタジックな世界は、人影がまったく見られないことで、いっそう非現実感を増しているのです。

 ところが…。

 ところが、ディーンが例外的に、カヴァーアートに人間(らしきもの?)を描いた例があります。それは、ユーライア・ヒ-プの2枚のアルバム、『悪魔と魔法使い』、『魔の饗宴』(ともに1972年)です。

 この時期のユーライア・ヒ-プは、悪魔関係の探究に熱心だったと、いわれております。しかし、ロックバンドが「悪魔」を語るときは、なにかの比喩として使うことが多いのです。つまり、「悪魔」を隠れミノにして、言いたいことを言うというわけです。
 ブラック・サバスのファーストアルバムで、「悪魔」の名を借りて、「反戦」が叫ばれていることは有名なエピソードです。

 ユーライア・ヒ-プは、その初期から一貫して、人間の醜さや悪といった闇の部分を表現してきました。この時期の彼等は、それを「悪魔」に喩えて表現しているのです。2枚のアルバムのカヴァーアートは、ディーンが見事にバンドの主張をとらえていることを証明しています。

 

 

 

URIAH HEEP/DEMONS AND WIZARDS  
 
 注目してほしいのは、『魔の饗宴』のカヴァーアートです。ここでは、ディーンらしからぬ、原色の“赤”がふんだんに使われているだけでなく、二人も“人間”(らしきもの?)が描かれているのです。彼の作品の中では、まさに異色といえるでしょう。

 私は、ディーンが自己の内面の闘争を描いたのではないか、と考えます。槍のようなものをかざす人物は、自己の内なる“善”の象徴。彼方に立つ「悪魔」は、まさに人間の心に棲む“悪”。赤く生々しい血は、闘争の凄まじさを象徴している…。
 みなさんは、どう思われますか?

 数点の作品でここまでの思索におよぶとは…、
 カヴァーアートの世界とは、深いものですね。

PS:イエスのCDは、オリジナル・(紙)ジャケット使用で再発されています。

 

 

 

URIAH HEEP/THE MAGICIAN'S BIRTHDAY

よく見ると、もう1人、花の根元にいるわ。(笑)

   
画像提供:sendaさん