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『狂気/ピンク・フロイド

(THE DARK SIDE OF THE MOONPINK FLOYD )』(1973年発表)

 

 

SDE

1.スピーク・トゥ・ミー(Speak To Me

  生命の息吹(Breathe

2.走り回って(On The Run

3.タイム(Time

4.虚空のスキャット(The Great Gig In The Sky

 

SIDE

5.マネー(Money

6.アス・アンド・ゼム(Us And Them

7.望みの色を(Any Color You Like

8.狂人は心に(Brain Damage

9.狂気日食(Eclipse

 

 思春期という時期は、わけのわからない暴力衝動と美しいものに対する感動が、

激しい振幅をもって交互に現れるようです。

 

 ハードロックという音楽と出会い、この思春期特有のわけのわからない暴力衝動と

折り合いをつけられるようになった私が、次に、耽美的かつ幻想的な音を求めたことは、自然の摂理であったのかもしれません。

 

 1970年代の当時は、ピンク・フロイドに代表されるカテゴリーを、プログレッシブ・ロックと呼んでいました。

 私は中学時代にすでに、プログレッシブ・ロックについては、キング・クリムゾンの「エピタフ」をラジオで聴き、イエスのライブをNHKのテレビで体験し、ELPの「展覧会の絵」を音楽の授業(!)で聴き、それなりの感動を覚えておりました。

 

 しかし、私が本格的にプログレッシブ・ロックに熱中するきっかけとなったのは、間違いなくピンク・フロイドの『狂気』を聴いてからのことで、それは、高校入学前後の時期(1977年)だったと記憶しています。

 そしてこれ以降の私は、最終的にユーロ・ロックの世界に入るほどの、プログレッシブ・ロック好きとなっていったのでした。

 

 このアルバムがいかに偉大な作品であるかは、私があらためて語るまでもないことでしょう。

 ここでは、ロックの歴史において、内容/セールスの両面で、後世に語り継がれるべき作品として、誰が選んでも5本の指に入るアルバム、とだけ言っておきましょう。

 

 いずれにしても、そのレベルのアルバムに出会ったのですから、初めて『狂気』を聴いたときの私の感動は、想像に難くないことでしょう。

 

 私はいまでも『狂気』を聴くと、夕暮れ時の光景が浮かんできます。

 なにかが終わろうとしている瞬間、なにかが滅する瞬間に見せる、はかなくも耽美的な美しさ。

 この頃、所用で羽田空港へ行った帰り道に、夕暮れ時の東京湾を眺めていたら、とつぜん頭の中に「生命の息吹」がフラッシュバックしたことがありました。これなどはまさに『狂気』のイメージを、具体的に表現した瞬間ではないでしょうか。

 

 『狂気』と出会った私は、『炎』、『雲の影』、『おせっかい』、『原子心母』、『ウマグマ』、『神秘』と、ピンク・フロイドの旧作ばかりを聴くようになりました。

 そして、いずれの作品からも深い感銘を受けたのでした。

 

 他のプログレッシブ・ロック勢をさしおいて、ピンク・フロイドに熱中するようになったのは、ギタリストのおかげです。

 そう、デイブ・ギルモアとの出会いです。

 

 プログレッシブ・ロック系のギタリストには、クラシックやジャズ出身の人が多く、いわゆる通常のロック・ギターとは違うマナーを身につけているため、私には少々近寄り難い存在ばかりでした。

 

 しかし、デイブ・ギルモアはブルースをベースとし、きわめてロック・ギター的なセンスを持っていたため、たいへん親しみやすかったのです。

 

 私はデイブ・ギルモアから、空間的なギターの使い方を学びました。

 クリアなトーンのアルペジオや、エコーを使ったリード・ギター。これ以降の私の機材にいつも欠かさずエコーが入るようになったのは、間違いなくデイブ・ギルモアからの影響です。マクソンのアナログディレイから、ローランドのスペースエコー、今でもヒュース&ケトナーのリプレックスが、私の足元に置かれています。

 ただし、機種にはコダワリがあって、あくまでも、デジタルディレイではなく、アナログディレイ系の暖かいトーンを選んでいます。

(わかりやすく言えば、U2みたいなエコーのトーンはイマイチということです)

 

 このコダワリの原点は、『狂気』の中で見つけることができます。

 

「生命の息吹」、「アス・アンド・ゼム」、「狂人は心に」などのけだるいアルペジオ、エコーを効かせた「タイム」のギターソロ、「虚空のスキャット」のイントロで

ピアノにからむスライド・ギター、空間系エフェクト満載の「望みの色を」

 いつ聴いてもゾクゾクする瞬間です。

 

 デイブ・ギルモアのギターは、空間的な広がりとともに、包み込むようなやさしさを感じさせてくれます。

 

 この感じは、デジタル・ディレイの冷たいトーンでは、どうやっても再現できないのです。

 

 またこれ以降、私は鍵盤楽器(キーボード)入りの編成に、たいへん興味を持つようになりました。

 キッスやストーンズ、エアロスミスのように、ギタリストが2人いる必要はないというか、ギタリストは1人でキーボード・プレイヤーがいた方がいい、と考えるようになったのです。

 

 そしてこの直後に、この考え方を決定的にする出会いがあるわけですが、その話は次回以降ということにしましょう。