『ディープ・パープル・イン・ロック(DEEP PURPLE IN ROCK)』(1970年発表)
SDE1
1.スピード・キング(Speed King)
2.ブラッドサッカー(Bloodsucker)
3.チャイルド・イン・タイム(Child In Time)
SIDE2
5.フライト・オヴ・ザ・ラット(Flight Of The Rat)
6.イントゥ・ザ・ファイア(Into The Fire)
7.リヴィング・レック(Living Wreck)
8.ハード・ラヴィン・マン(Hard Lovin' Man)
ピンク・フロイドの『狂気』と出会い、鍵盤楽器(キーボード)入りの編成にたいへん興味を持つようになった私は、キッスやストーンズ、エアロスミスのようにギタリストが2人いる必要はないというか、ギタリストは1人で、キーボード・プレイヤーがいた方がいいと考えるようになりました。
そんな時期に、この考え方を決定的にする出会いがありました。
それが、リッチー・ブラックモアとの出会いです。
私が初めて聴いたディープ・パープルの曲は、「スピード・キング」でした。
ハードなリフと、つかみかかるようなヴォーカルに圧倒されていると、中間部分は突如としてジャージーな雰囲気になり、ハモンドオルガンのオシャレなソロと、抑えた音量のギターソロに意表をつかれ、その後もう一度ハジけて、たたみかけられるように、一気にクライマックスに達する…。
「ああっ、これこそ“音の暴力”そのものだ。」
私は一発で魅了され、すぐにアルバム『イン・ロック』を手に入れました。
そして、高校1年の1学期の間、それこそ毎日何回も聴きまくったのでした。
『マシン・ヘッド』ではなく、『イン・ロック』を先に聴いたおかげで、私はディープ・パープルに対する認識を誤らなかったのだと思います。
『イン・ロック』を聴けば、彼らが楽曲至上主義でも様式美の権化でもないことがよくわかります。
『イン・ロック』は、全体的に荒っぽい音の録り方をしていて、(それはとくに、やや割れぎみのドラムの音に顕著ですが…)楽曲もセッションっぽい部分を残しているため、荒削りで未完成な印象を受けます。
そして、イレギュラーな曲構成や音の使い方(とくにB面後半の音に顕著です)が、型破りで暴力的な雰囲気を助長しています。
先にショックを受けた「スピード・キング」のエンディング間近では、ギターをアンプにこすりつけているような音が聴こえ…、
「ブラッドサッカー」では、ストラトキャスターのアームを駆使した変調感を味わい…、
問答無用の「チャイルド・イン・タイム」では、いままで聴いたことのないフレーズの連続に言葉も出ず…、
「フライト・オヴ・ザ・ラット」でペイスのドラムにシビレ…、
「イントゥ・ザ・ファイア」や「リヴィング・レック」の抑えぎみのテンポに凄みを感じ…、
脱線どころか変調ぎみで、スタジオライブそのものみたいな「ハード・ラヴィン・マン」にふたたび圧倒される…。
本当に、凄まじい音塊を収録したものだ、と感心させられます。
このアルバムでディープ・パープルが表現したものこそ、“ハードロック”なのです。
当時(1976~77年頃)、リッチーはすでにレインボーを始動させており、この後私は、ディープ・パープルとレインボーを並行して聴くことになりましたが、その他のアルバムから、『イン・ロック』以上のインパクトを受けることはありませんでした。
そして私は、リッチーのテクニカルなプレイやエキセントリックな雰囲気を目標とするようになったのです。
夏でも黒い服を着用し、歌わない、しゃべらない、笑わない…。
ステージでは右端に位置し、メンバーすら寄せ付けない雰囲気で凄まじいテクニックを披露し、暴力的かつ破壊的なパフォーマンスを演じる…。
これは音楽だけにとどまらず、私の日常生活にも影響を与えたようで、今でも仕事に向かう私の姿は、前述のイメージそのもののようです。
いろいろ考えると、この時点でリッチー・ブラックモアを目標に選んだことが、人生の大きな分かれ道だったのでしょう。
そういう意味では、本当に“私の人生を変えたアルバム”と言える1枚です。
第4の男
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジをブリティッシュ・ロック3大ギタリストと呼んでいた1970年代中期頃、リッチー・ブラックモアは“第4の男”と呼ばれていました。
“第4の男”とは、異端の存在であるという意味です。
たしかに、『イン・ロック』を聴いたかぎりではイレギュラーな音の採り方が多く、その表現にうなずける部分もありますが、なぜリッチーは、“第4の男”などと呼ばれていたのでしょう。
リッチーのギターを熱心にコピーするようになった私は、あることに気がつくようになりました。それは、彼のプレイが異端どころか、非常に端正であるということでした。
まず、左手の運指は、小指を含めた4本の指を均等に使う、いわゆるクラシック・ギターの基本に忠実であること。そして、右手のピッキングは、正確なアップ・ダウンを繰り返し、意識的にリズムを崩したり、変拍子を多用しないこと。
そのせいか、リッチーのギターは前述の3大ギタリストより、はるかにコピーしやすいものでした。
トリッキーなプレイのオンパレードであるジェフ・ベックや、バンド自体がトリッキーであったジミー・ペイジは言うまでもなく、エリック・クラプトンですら、ブルースマナーによるものか、意識的にリズムを崩す場面が多く、ギター初心者の私には、コピーに手こずる場面が多かったものです。
1977~78年当時、リッチーの教則本として非常に評価が高かった『リッチー・ブラックモア奏法』で、著者である元ハルヲフォンの小林克己氏も、「初心者はリッチーからギターの基本を学ぶとよい」と述べていました。
「リッチーをコピーすると、短期間でギターが巧くなるに違いない」私の気づきは確信へと変わっていきました。
では、なぜリッチーは、“第4の男”などと呼ばれていたのでしょう。
それは、3大ギタリストが身につけていて、リッチーが身につけていなかったものによるものでした。
ブルース。
そうです。当時のブリティッシュ・ロックでは、ブルース、またはソウル等の黒人音楽を音楽的ルーツとすることが主流だったのです。
そんな時代にあって、黒人音楽を音楽的ルーツとして持たない、リッチー・ブラックモアはまさに異端の存在であったというわけです。
ブルースギターは正規の教育を受けていない人たちが、自己流で感情を表現するところから発達したものであり、厳格な音楽理論が確立していたクラシック・ミュージックとは対極の位置にある、と言っても過言ではないでしょう。
変則的なチューニングや、スライドギターやチョーキングを使った不安定で独特の音感。感情によって緩急をつけるリズム。ブルースギターのマナーは、西洋的な音楽の枠を越えるものでした。だからこそ、多くの音楽ファンを魅了したのです。
ところが1970年代も後半になると、黒人音楽をベースとしない、プログレッシヴ・ロックが一般的になり、ハードロック第一世代を手本とした、第二世代によるヘヴィ・メタルが台頭するようになり、このようなブルース主流の風潮が薄れてきました。
プログレッシヴ・ロックやヘヴィ・メタルは、“白人による白人のためのロック”であり、西洋における音楽のルーツである、クラシックをベースとしたギタープレイを構築した、リッチー・ブラックモアは、そのムーブメントを先導する存在となったのです。
このようなスタイルが、ヨーロッパで支持されたのは当然のことであり、同じように黒人音楽とたいへん距離がある我が国、日本において支持されたのもまた当然のことと言えるでしょう。
1980年代以降、リッチーの評価は一気に高まり、もはや誰もが彼のことを、“第4の男”などと呼ばなくなりました。そして彼のギタープレイは、ロックギターの基本形として定着していったのです。
現在ではむしろ、ブルースの方が、一部のマニアが愛好する音楽というイメージが強くなっています。そう考えると、時代における音楽の評価というのはたいへんおもしろいものだといえるでしょう。
イレギュラーがスタンダードになる…。
ヒネクレ者の私は、リッチー・ブラックモアの存在が一般化するに従い、どんどん興味を失っていったのでした。
『嵐の使者』
私が高校生の頃(1970年代後半)、再結成前のディープ・パープルが発表したアルバムの中でもっとも評価の低かった作品は、第2期では『紫の肖像(Who Do We Think We Are)』、第3期では『嵐の使者(Stormbringer)』でした。
いずれも、メンバーチェンジ直前に発表されたものであったため、リッチー・ブラックモアがヤル気をなくしていたから作品として充実していないのだという、たいへん説得力のある理由がつけられており、多くの音楽ファンもそう思っていたようです。
『紫の肖像』にはたしかに、その理由が当てはまるようですが、『嵐の使者』はどうでしょう?本当にそうだったのでしょうか?
私は高校1年の終わり頃に、初めて『嵐の使者』を聴いたのですが、そのときの感想は、「悪くない…んじゃない?」どうしてこの作品の評価が低いのか、理解できませんでした。
とくに、従来のパープル・スタイルを踏襲した「嵐の使者」に続く、LP時代のA面の出来が素晴らしく、今でも年に数回は聴いているほどです。
「愛は何よりも強く(Love Don't Mean A Thing)」は、グレン・ヒューズが、
どれだけスティーヴィー・ワンダーを敬愛しているかを理解できるナンバーです。ハードロックというよりは、少しハードなソウルという感じの曲調に乗って、ディヴィッド・カヴァーディルとグレンのツインヴォーカルが見事なハーモニーを作ります。
つづいて、グレンが歌う「聖人(Holy Man)」。デヴィッド・ボウイがこの曲を気に入って、カバーしたいと許可を求めたようですが、パープル側がなぜか却下して、
仕方なくボウイは、この曲によく似た、ビートルズの「アクロス・ザ・ユニヴァース」をカバーして、アルバム『ヤング・アメリカンズ』に収録したというエピソードがありますが、なるほど、たしかに彼が歌ったらよく似合いそうな曲調です。
そして、「ホールド・オン」。これは文句なくカッコいい曲。いわゆるファンキー・ハードロックの名曲でしょう。とにかくノリがよく、さりげなく使われているクラビネットが雰囲気を盛り上げています。
ちなみに、B面も同じような構成で、パープル・スタイルの「嵐の女(Lady Double Dealer)」につづき、ファンキーな「ユー・キャント・ドゥ・イット・ライト」、直線的な「ハイ・ボール・シューター」、ファンキーというよりディスコビートに近いリズムに乗って、叙情的なメロディを歌う「ジプシー」とつづき、ラストは、生ギターによる「幸運な兵士(Soldier Of Fortune)」です。
なにしろ、曲がいい。これに尽きます。
ヤル気をなくしていたとされるリッチー・ブラックモアのプレイですが、これだけソフトな曲が並んでいるので、いままでのようなハードなプレイを意識的に控えたのではないでしょうか?リッチーは下積み時代に、歌手のバックバンドやスタジオワークが多かったので、けっして“KYな(空気読めない)”ギタリストではないはずです。
『嵐の使者』におけるリッチーのプレイは、アルバム全体の雰囲気に合わせた結果であり、けっしてヤル気がなかったわけではないでしょう。いままであまり取り入れることのなかった、ワウやスライドを披露していたりして、逆に意欲的な部分が感じられるほどです。
一般的には、従来のパープル・スタイルである、「嵐の使者」や「嵐の女」
がコンパクトにまとまっているため、スケールが小さくなったと思われたようですが、作品をよく聴き込むと、リッチーをはじめとしたパープルのメンバーが、新しい分野の音に挑んでいることがわかるはずです。
『嵐の使者』で聴かれる、ファンキー・ハードロックという分野の音をイギリスではじめて一般的にしたのは、じつはディープ・パープルではないかという説があります。いや、それ以外にも、レインボーとホワイトスネイクのファーストアルバムの音が『嵐の使者』の延長上にあることは間違いなく、いろいろ考えると、たいへん重要な作品であることがわかります。
そして当時から、ファンはこのことをよくわかっていて、じつは、私と同じ感想を持つ人が多く存在していたのです。
そして『嵐の使者』は“隠れ名盤である”、と伝えられていきました。
その結果…。
あれから30年ほどが経過した現在、いろいろな場所で見ることができるディープ・パープルのアルバム紹介では、『嵐の使者』は名盤として評価され、重要な位置にある作品である、と書かれるようになりました。
『嵐の使者』は、ファンの声と時間の経過が評価を変えた作品です。
そして、この事例からもわかるように、ディープ・パープルの不幸は、既成路線から脱しようとして新しいことに挑んでも、それがリアルタイムでは、正当に評価されなかった点に尽きるのです。
(初出:ブログ「ROCKのある風景」2008.9.28、10.5、11.2)