『悪魔と魔法使い/ユーライア・ヒープ
(DEMONS AND WIZARDS/URIAH HEEP)』(1972年発表)
SDE1
1.魔法使い(The Wizard)
2.時間を旅する人(Traveller In Time)
3.安息の日々(Easy Livin')
4.詩人の裁き(Poet's Justice)
5.連帯(Circle Of Hands)
SIDE2
6.虹の悪魔(Rainbow Demon)
7.オール・マイ・ライフ(All My Life)
8.楽園(Paradise)
9.呪文(The Spell)
ディープ・パープルに熱中していた高校2年の夏頃、誰に勧められたのかは忘れてしまいましたが、「パープル好きなら、きっと気に入ると思うよ」と友人に言われて手に入れたのが、ユーライア・ヒープの『対自核(LOOK AT YOURSELF)』でした。
友人はおそらく、“キーボードが入ったハードロック”という視点で、私にこのアルバムを勧めたと思われますが、思惑通り、私は『対自核』を気に入ってしまいました。
パープルが、“ギターが強い、キーボード入りのハードロック”とすれば、ヒープはさしずめ、“キーボードが強い、キーボード入りのハードロック”といったところでしょうか。
さすがに、ギターではパープルに一歩譲るとして、ヒープにはそれを補って余りある、強力な武器がありました。
それは、コーラスワークです。
パープルではありえない、多層構造のヴォーカルによるパートが、このグループの“売り”でした。
私は、クィーンのジョン・ディーコンがミュージックライフのインタビューで、「ヒープ、大好き」と言っていたことを思い出し、あのクィーンが影響を受けたほどなんだからこのコーラスワークはスゴいんだ、と妙な納得をしてしまいました。
クィーンにはそれほど興味を持てなかった私ですが、なぜかヒープのコーラスワークには感動を覚えたのです。
このコーラスワークが、芸術的といえるほど美しく、ヒープ・サウンドの耽美的な面を強調していて、暴力的な部分とうまくバランスをとっているのでした。
私は、思春期に激しい振幅をもって交互に現れる、わけのわからない暴力衝動と美しいものに対する感動の、両方を満足させるグループに出会った、そんな気持ちでいっぱいになりました。
そして、『悪魔と魔法使い』が、『対自核』の次に発表された作品だということを知った私は、早速それを購入するためにレコード店へ駆け込んだのです。
レコード店でアルバムを手にした私が最初に感動したのは、イエスのアルバムジャケットで有名な、ロジャー・ディーンによる、神秘的なジャケット・ワークでした。
綺麗だなぁ…中身もこういう感じなのかな?
私はイエスの一連の作品、そう、いわゆるプログレッシヴ・ロックの音を思い浮かべました。
そしてその予感は、1曲目の「魔法使い」が始まった瞬間に、現実のものとなったのです。
ああっ…プログレっぽい、深くて綺麗な音…。
神秘的な光景をドラマティックに描いた「魔法使い」は、これ以降、現在に至るまで、私のフェイバリット・ソングになっています。
『悪魔と魔法使い』は、『対自核』のサウンドを整理し、もっと丁寧に作り上げたという印象で、『対自核』をパープルの『イン・ロック』にたとえるなら、こちらは『マシン・ヘッド』ということになる、暴力的で荒削りな部分を抑えて、整合性を強く打ち出した…、そんな印象の作品です。
とくに、LP時代のA面の出来が素晴らしく、前述の「魔法使い」を別にしても、「詩人の裁き」のイントロの短いコーラスや、「連帯」の荘厳なオルガンの響きなど、本当に鳥肌が立つほどの美しさを感じる瞬間が何度も現れます。
音の感触はまさに“プログレッシヴ・ロック”。
アルバム・ジャケットから受けたイメージが、そのまま音になっていたのです。
パープルではより暴力的な『イン・ロック』を好んだ私が、ヒープに関しては暴力的な部分を抑えた『悪魔と魔法使い』を好んだのは、私が両者に対して求めたものが違っていたからでしょう。
私はヒープに、耽美的なものを求めたのです。
さてこの他、前作『対自核』と大きく違ったのは、ベーシストの存在感でした。『対自核』と『悪魔と魔法使い』の間では、ベーシストとドラマーが交替しています。
もともとこのグループは、ギターの手数が少ない分、ベースが細かいフレーズを弾く傾向にあったのですが、新加入の名手ゲイリー・セインは、ベーシストというよりは、低音メロディ担当とでも言いたくなるような、たいへん美しい旋律を奏でることで、全体のサウンド作りに大きく貢献しています。
ベーシストがウマいと、音が変わるんだ…。
私が、バンドにおけるベーシストの重要性に気がついたのは、ユーライア・ヒープが最初でした。
そして、このようなヒープ・サウンドに、リッチー・ブラックモアのようなエキセントリックなギタリストが加わったら最強なのではと思うようになり、それが私の当面の目標になりました。たしか、高校2年頃のことだと思いますが、私はマジメに、ユーライア・ヒープになりたい、と願うほどになったのです。
しかし、それはすぐに、コーラスをとりながら演奏する難しさと、コーラスでハモるにはリードヴォーカル級のトレーニングが必要である、という大きな問題に当たり、あっけなく挫折してしまいました。
理想のサウンドに出会ったものの、それを表現することの困難さを知った私。人生とはこのようなことの繰り返しと言えますが、さて、その後どのような方向へ向かうことで、この現実に折り合いをつけたのでしょう?
それは、次回以降のお楽しみ、ということにしましょう。
ユーライア・ヒープの凄腕ベーシストたち
ヴォーカリストは、バンドの音数が多くなり和声構造が複雑になった場合に、キーやメロディラインを確認し曲がどこまで進んでいるのかを判断するために、ベースのフレーズを追うそうです。
前段で、“私が、バンドにおけるベーシストの重要性に気がついたのは、ユーライア・ヒープが最初でした。”と語りましたが、ヒープのように、ギターとキーボードがいる上に、3~4声のヴォーカルハーモニーが加わった非常に分厚い音の構成では、まさにこの通りであり、曲を導くベーシストの役割が重要です。
今回は、そんなヒープ歴代のベーシストに焦点を当て、その凄腕ぶりについて、語ってみたいと思います。
①ポール・ニュートン
初代ベーシストのポール・ニュートンは、ヒープのマネジャーの息子で、ブロンズ・レコーズとの契約後のゴタゴタの結果、親子そろってバンドから追われることになりました。
あまり注目されることのない存在ですが、名作『対自核』は彼のプレイであり、「自由への道(I Wanna Be Free)」などで、かなり暴れるベースを披露しております。この曲を聴くと、ベーシストが曲を導くヒープ・スタイルが、すでにポール・ニュートンの段階で完成していたことがよくわかります。
②マーク・クラーク
前述のポール・ニュートンが脱退し、ゲイリー・セインが加入するまでのほんの短い期間在籍していたのが、元コロシアムのマーク・クラークです。
『悪魔と魔法使い』の1曲目、「魔法使い」は、彼のインスピレーションによる曲といわれています。
マーク・クラークはベーシストというよりも、サウンド・コーディネーター的な要素が強く、『悪魔と魔法使い』の基本コンセプトは、そんな彼からの影響が大きかったそうです。
ただ、この時期は精神的に不安定で、すぐにバンドを脱退してしまいました。おかげで、ユーライア・ヒープで公式に発表された録音は残っておりません。
(が…しかし、『悪魔と魔法使い』がCD化された際に、ボーナストラックとして収録された「Why」という未発表曲において、最初から最後までブリブリ弾きまくるベースをプレイしているのが、どうもマーク・クラークではないかという説が出ております。)
ちなみに私が好きなのは、彼がヒープ脱退後に、コロシアム時代の親分、ジョン・ハイズマン(Ds)と結成した、テンペストのファースト・アルバム。(あのアラン・ホールズワースが参加していることで有名な作品です。)これを聴くと、マーク・クラークが凄腕であり、あちこちの有名バンドから声をかけられた理由がよくわかります。(そういえば、レインボーにも、ほんの短期間だけいたことが…。)ホールズワースのプレイも最高なので、未聴の方はぜひ聴いてみてください。
③ゲイリー・セイン
この方がどれだけ凄腕であったかについては、いまさら言うことがないので割愛しますが、かつて『web-magazine GYAN GYAN』の特集で、“ナビゲーター役は、ベースだ。その緻密な音の中で神々しい光を放ち、それでいてバンド・サウンドからはみ出すことなく、聴き手に訴えかけてくる。そのトーンは、我々を天上へと誘う。ゲイリー・セインは、モーゼのような存在だ。”と語ったことがすべてを表現しているでしょう。
ただ、この方は、人間的にはそれほど神々しくなかったのか、かなりのヤク中だったようで、それがために感電事故が命取りになってしまったという、“ロケンロール”な生き方をなさっており、そこがまた、たまらなく魅力的だったりするのです。
そんなことで、ベースプレイ以外の部分で、もっと彼の人生を掘り下げてくれたらなぁ…、と願う次第です。伝記が出版されたら、少なくとも2冊は売れるでしょう。
④ジョン・ウェットン
1974年にゲイリー・セインが脱退した後釜に、また、とんでもない“大物”を持ってきたものです。
ジョン・ウェットンがどれほどの凄腕であったかについては、これまたいまさら語るまでもありませんが、キング・クリムゾンの未発表ライブが出るたびに、あのロバート・フリップが「ジョン・ウェットンこそ、英国No1のベーシストである」と言っていたことを痛感する次第です。とくに、『Live at the Amsterdam Concertgebouw November 23rd 1973』は鳥肌モノでっす。
おもしろいのは、キング・クリムゾン解散後の、ヒープでもロキシー・ミュージックでも、きっちりバンドサウンドにおさまっていて、暴れたプレイをしていないことです。
クリムゾンでヤリ尽くしたのでしょうか。
⑤トレバー・ボルダー
ジョン・ウェットン脱退後の1977年から、(たしか)ずっと在籍していた(?)のが、元デヴィッド・ボウイのスパイダー・フロム・マースにいた、トレバー・ボルダーです。
スパイダー・フロム・マースなどというと、多分にアイドル的なイメージがありますが、とんでもない。ミック・ロンソンといい、この人といい、なかなかどうして、かなりの凄腕ミュージシャンであります。
トレバー・ボルダーのベースは、パワフルで、ビートをビンビン感じさせてくれる、強引な心地よさがあります。(「アラジン・セイン」の妖しさも好きですが)
スパイダー・フロム・マースの来日公演を見た人に話を聞くと、もっとも予想外だったのが、トレバー・ボルダーのベースのスゴさだったようで、そういう意味では、おさまるべき場所におさまった、ということなのでしょうか。
さて、ユーライア・ヒープ歴代のベーシストについて振り返ってみましたが、同じようにベーシストが安定しなかったバンドとして、ロキシー・ミュージックがありますが、こちらの事情はいかなるものであったのか、ふと考えてしまった私です。
(初出:ブログ「ROCKのある風景」2008.11.9、11.16)