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web-magazine GYAN GYAN

 

       
「ジギー・スターダスト」の残響音
   
1、プロローグ

 「♪ギャーッ、ギャリギャリギャギャー、グギャーガガ、グギャーガガ、グッ、ギャーギャー♪」デヴィッド・ボウイーの名曲、「ジギー・スターダスト」のイントロである。はじめてこのフレーズを耳にした時、次のような光景が私の目の前に拡がってきた。
      
 寒い冬の夜
 降るような星空の下で
 一人の男がギターを弾いている
 張りつめた空気の音が聞こえるぐらいの静寂の中
 宇宙と地球の接点に自分が立っているような孤独を味わいながら
 彼は虚空に向かって音をバラまいている

 孤独ではあるが彼の表情にはさびしげな様子はない
 むしろそんな自分を楽しんでいるような
 やわらかな微笑を浮かべている

 それまでの私は、ここまで聴き手のイマジネイションを喚起させる、表現力の豊かなギターに出会ったことがなかった。
 この曲でギターを弾いている男の名は、ミック・ロンソン。グラム・ロック時代のボウイーを支えた、名パートナー。史上最強のNo2と賞賛された男である。

 

   
2、アロハを着た“板さん

 1978年12月、デヴィッド・ボウイーは2度目の来日を果たした。そして、NHKホールで収録されたステージの映像が、日本中にオン・エアされることになった。私が高校2年の時である。それまで「スター・マン」ぐらいしか聴いたことがなかった私にとって、これはボウイー・ワールドに足を踏み入れる千載一遇のチャンスであった。まだ、一般家庭にビデオデッキが普及していなかった当時のことである。私は、マバタキの回数をできるだけ少なくして、一瞬でも多くの映像を脳に焼きつけようと、テレビの前にスタンバった。
 映像は「ワルシャワ」でスタートした。「!」オーケストラのようなセットにメンバーが並び、ボウイーが指揮をとる。荘厳なテーマは、ゆったりと私をボウイー・ワールドへ誘ってゆく。「!!!」はじけるように、「ハング・オン・トゥー・ユアセルフ」が始まった。見事なライティングの中、ファッショナブルなボウイーが華麗に躍動する。「カッチョイ~!」ボウイーは2曲目で、早くも私をノック・アウトした。
彼はこの瞬間から、私の音楽人生における、最重要人物の一人となっていったのである。
 「?」ステージが進むにつれて、私はボウイーの後ろにいる男が気になり始めた。「???」その男は、GIカットというより割烹の板前さんのような、と表現した方が的確と思われる短髪をし、派手なアロハ・シャツを着ていた。ボロボロに塗装のハゲたストラトキャスターを極限まで下げた位置でかまえ、トレモロ・アームにつかまるようにして、フラフラと踊っている。まるで「酔拳」のジャッキー・チェンのようだ。コイツが、ミョーなギターを弾いているのである。硬質で透明感のあるバッキングをしていたかと思うと、グニョグニョしたリードを弾く。アメーバのような変幻自在ぶりだ。こんなギターには、出会ったことがない。「だれだ?コレ」”アロハを着た板さん”の名は、エイドリアン・ブリュー。この後、再結成されたキング・クリムゾンのメンバーとして話題になる男である。この、奇妙なキャラクターの存在は、私のボウイーに対する関心をよりいっそう強くしていったのである。
 すっかり、ボウイーにショック・トリートメントされた私は、この時のオン・エアとほぼ同じセットを収録した、最新のライブ・アルバム「ステージ」を手に入れた。このアルバムは、それ以前のボウイーのベスト・アルバム的な性格をも兼ね備えていたので、とても重宝した。私は、このアルバムを足がかりにして、ボウイーの旧作のコレクションを開始したのだ。「ジギー・スターダスト」を最初に手に入れたのは、「ステージ」のレコード1のA面が、全曲このアルバムからの選曲になっていたことによるものである。「17 曲中の5曲がこのアルバムの曲なんだから、悪いはずはないだろう?」

 

     
3、ジギー・スターダスト

 ステージが少しずつライト・アップされてゆく光景が目に浮かぶ、「ファイヴ・イヤーズ」のオープニングから、衝撃的なクライマックスを迎え、突然幕が降ろされるような効果を持つ「ロックン・ロールの自殺者」のエンディングまで、アルバム「ジギー・スターダスト」は、演劇的な視覚イメージをともなって、私の前に現われた。ムダな曲が1曲もない。名盤中の名盤。思いつく限り、最大級の賛辞を与えたとしても、まだ足りないような気がする。この名盤の全編を支配している、ミック・ロンソンの印象的なギター・トーン。この独特のトーンがなければ、アルバムが聴き手に喚起するイマジネイションの効力は、半減してしまったことだろう。まさに、ロンソンなくしては、このアルバムはあり得なかったのである。私は、いつのまにかボウイーよりも、ロンソンに関心を持つようになっていった。
 私が当時、他の高校の連中と組んでいたバンドは、B級バンドの名曲ばかりをコピーしていたシブいバンドであった。リック・デリンジャーの「ロックン・ロール・フー・チー・クー」、モット・ザ・フープルの「ロックン・ロール・クイーン」、フォガットの「フール・フォー・ザ・シティ」、ハンブル・パイ・ヴァージョンの「カモン・エブリバディ」など…。私は、ボウイーの曲をレパートリーに加えることを、仲間に提案した。結局、「ジギー・スターダスト」と「サフラジェット・シティー」をコピーすることに決まった。ついに、ロンソンのプレイに取り組むことができる。私は、早速ギターを手にした。
 「ジギー・スターダスト」の原曲は、なぜか「ステージ」のアレンジと大きく異なっていた。「ステージ」ではストリングスを導入し、オーケストラのような印象を受けたイントロだが、原曲はロンソンのギター一本である。しかし、この一本のギターの説得力は、すべてのアレンジを凌駕するほどの、絶対的なものなのである。これを、高校生バンドが手軽にコピーできるアレンジと勘違いした私は、やはりまだヒヨコだったのだ。
 「ジギー・スターダスト」のコピーは、難航した。どうしても、アタマの「ギャー」の感じがでない。なんの変哲もないGのコードのはずなのに、どのポジションで弾いても、あの感じがでないのだ。こんな経験は、フリーの「オール・ライト・ナウ」のイントロ以来のことである。フリーの「オール・ライト・ナウ」のアタマのAのコードも、われわれが知っている限りのどのポジションで弾いたところで、微妙な違和感を感じたものだ。ただ、あの時は先輩達の秘伝が、私を助けてくれた。フリーの来日公演を実際に見たという人からの伝承で、「ポール・コゾフは、通常のAのオープン・コードに、小指で6弦の5フレットの音を加えていた。」というものだ。この一言で、この問題は解決した。ずいぶん後になって、ワイト島フェスティバルのビデオで、コゾフがこの曲を演奏しているシーンを見たが、彼はシッカリ秘伝通りのフォームでプレイをしていた。まさに、百聞は一見に如かずである。この秘伝を伝えた人の観察力は、並み大抵のものではない。しかし、残念ながらロンソンについては、この種の秘伝は存在しなかった。
 加えて、あの独特のトーン。かなり歪ませているのに、弦が6本しっかり鳴っている感じがする。コモっているようでいてヌケがいい、ソリッドではあるが深みがある。相反する要素が微妙にブレンドされた、不思議なトーンである。私は始め、ワウ・ペダルを半開きにするセッティングで中域を強調する手段をとった。しかし、音がコモってしまい、前に出てこない。ロンソンのように、聴き手のイマジネイションを喚起させることなどとうてい無理である。私はこの時はじめて、それほど難しいプレイでなくても、コピーが困難な曲が存在するということを、思い知らされることになったのである。
 結局、悩みに悩んだ私が出した結論は、こうである。アタマのコードはオープン・コードのG。2・3・4弦が開放になり、これで豊かな響きが確保される。ワウはやめて、イコライザーで高域をカットした。これで音がコモることも解消される。かなりロンソンのプレイに近づいたという自信はあった。少しだけ星空が見えたような気がしてきた。バンドの練習で披露した時に、仲間はこう言ってくれた。「Matsuちゃん、ロンソンそっくりだぜ!」

 

   
4、アラジン・セイン

 「ジギー・スターダスト」の次のアルバム「アラジン・セイン」は、単純にロンソンのギターを楽しもうという人にとって、格好のアイテムである。いやむしろ、こちらのほうがより自由にギターを楽しんでいる、ロンソンに出会えるかもしれない。最高にイカしたロックンロール・リフをキメてくれる「あの男に注意しろ」、レコードの溝から飛び出してきそうなギターが暴れまくる、ストーンズのカバー「夜をぶっとばせ」、そして「ジーン・ジニー」。この曲のギター・ソロ前半はスゴい!。「プルプル」と、1音だけをマンドリンのようにトレモロ・ピッキングするだけで、緊迫感を盛り上げている。ジェフ・ベックがヤードバーズ時代に残した、「ナッズ・アー・ブルー」の1音ソロをほうふつとさせるプレイである。「プルプル」の後の、たたみかけるようなフレーズの展開も見事の一言につきる。私は、ますますロンソンに傾倒していくのであった。
 私が「アラジン・セイン」を初めて聴いたのは、エドワード・ヴァン・ヘイレンやウルリッヒ・ロスといった、ハード・ロックの超テクニシャンが出現してきた頃のことである。彼等の、人間技とは思えない速度のプレイに、「こうなると、もうついていけねぇなぁ」と感じていた私にとって、不必要な技術を誇示することなく、研ぎすまされた感性を最優先しているロンソンのギターは、テクニックに関する座右の銘のように思えたものである。
 ”速く弾くことができる”ということは素晴らしいことだが、それ自体は音楽的なおもしろさとは別問題だ。ギターのテクニックというものは、他人と比較してどうこう言うものではなく、どれだけ自分の言いたいことが表現できるかが重要なのである。

 

   
5、ボウイーとの決別

 ロンソンは、「アラジン・セイン」の後、企画モノっぽい「ピンナップス」への参加を最後に、ボウイーとの活動に終止符を打っている。ボウイーが”ジギー”を捨てたからロンソンが出ていったのか、それともロンソンが出ていく決心をしたからボウイーは”ジギー”を捨てたのか、真実は定かではない。しかし私は2つの理由により、後者の説を指示する。ボウイーが次のアルバム「ダイアモンド・ドッグス」で、他のギタリストを参加させずに、全編にわたって自身でギターを弾いていること、そしてロンソンがボウイーとの決別後、すぐにソロ・アルバムを発表し、ツアーを敢行したこと。
 ギタリストには、優れたヴォーカリストのNo2の位置でこそ、真価を発揮するというタイプの人が多い。このタイプの人がNo1になりたがる、もしくは自分がNo1であるという錯覚を起こしたとき、悲劇は始まるのである。私がロンソンの履歴のこの辺りを知った頃、エアロスミスからジョー・ペリーが脱退した。1979年のことである。熱狂的な、ジョー・ペリーのファンであった私ですら、「絶対に、ジョーはソロでコケるぞ!」と断言していたほどである。「あんたねぇ、スティーブンあっての自分だってこと、分かってないの?」当人に向かって、オモイッキリ言ってやりたかった。果たして、私の予想は適中した。おまけに、ジョーだけでなく本体のエアロまで沈没してしまったのだから、シャレにならない。私には、ボウイーから独立したロンソンが、この頃のジョー・ペリーとダブって仕方がない。ただひとつ違っているのは、ジョーはエアロに復帰して再起を果たすことができたが、ロンソンにはこれができなかったということ。ロンソンが自分の資質に気がついた時、ボウイーははるかかなたの地平を走っていたのである。
 ロンソンのソロ活動は、無惨とも思えるくらいの敗北を喫した。初のソロ・アルバムである「スローター・オン・10th・アヴェニュー」には、ボウイー時代の魅力のカケラも見い出すことはできなかった。「なんで、ボウイーと離れて、ヴェンチャーズなんだよ!」私には、腹立たしいぐらいであった。ロンソンは、この時点でようやく自分の資質に気がついたらしく、モット・ザ・フープルのヴォーカリストであったイアン・ハンターと手を組むことにした。ハンターとは、この後長いつきあいになる。この辺りになって、ようやく後追い組だった私は、リアル・タイムのロンソンに追いつくことができた。しかし、ハンターとの活動はボウイー作品の成果には遠くおよばなかった。ハンターには失礼だが、ボウイーとハンターでは比較の対象にならないほど、資質のレベルが違っている。
 私は正直なところ、ハンターとの一連の作品には、少しも魅力を感じることができなかった。世間はロンソンのことなど、もはや話題の端にも取り上げなくなっていた。私のロンソンに対する関心も、もはや薄れかけていた。「ロンソン?もう、興味ないね」

 

   
6、再び、アロハを着た“板さん”

 1981年、キング・クリムゾンが再結成され、新メンバーが発表された。ギター、エイドリアン・ブリュー!私をボウイー・ワールドへ案内してくれた、あの”アロハを着た板さん”じゃないか!この人選は、音楽ファンに大きな衝撃を与えた。なにしろ、あのロバート・フィリップ御大が、同じバンドの中で自分以外の人間にギターを弾くことを許したのだから。
 新生キング・クリムゾンのアルバム、「ディシプリン」の1曲目「エレファント・トーク」で、ブリューは必殺技”パオ~”を披露した。”パオ~”はエレキ・ギターで象の鳴き声を表現したもので、以後彼は新しいギター・ヒーローとして注目されることになる。”パオ~”は、クリムゾンで始めて試した奏法だと思っている人も多いだろうが、実はそうではない。私は見た、ブリューがトーキング・ヘッズのツアー・メンバーで来日した時のステージで、”パオ~”とヤッたのを。いや、それどころではない、「エレファント・トーク」の後半、ブリューのソロ・パートのフレーズがまるっきりそのまま、その時のステージで使われていたのだ。断言してしまうが、ブリューはヘッズでクリムゾンの予行演習をやっていた。あの飄々としたルックスにうまく結びつかないが、結構したたかなヤツである。
 はじめて、ボウイーのバックで演奏しているブリューに出会った時、その個性的なプレイにかなりの衝撃を受けた私であった。しかし、その後の活動から分析してみると、当時のブリューがまだ実力を100%発揮していなかったという、恐るべき事実に気がつく。信じられないことに、「ステージ」で聴くことのできるプレイは、ほとんどオリジナル・テイクのコピーなのである。つまり、私が衝撃を受けたギター・プレイは、ブリューを通して聴いたアール・スリックやロバート・フィリップ、そしてミック・ロンソンのプレイであったということになるのだ。たとえば、ブリューの独壇場と思われた「ステイション・トゥー・ステイション」のプレイも、信じられないことにアール・スリックのオリジナル・テイクを忠実に再現しているだけなのである。(スリックおそるべし!!!)その中でただ1曲だけ例外的に、まったく原曲と異なるアレンジで演奏されていた曲があった。
 「ジギー・スターダスト」である。
 ボウイーはどのような意図で、この曲のアレンジを変えたのだろうか?「グラム・ロック」時代のイメージを払拭したかったからだろう、と推察することもできるが、「ジギー・スターダスト」以外の同アルバムからの選曲はほとんど原曲通りのアレンジなのである。なぜか、「ジギー・スターダスト」だけなのだ。どうして、ボウイーは、この曲のイントロをブリューのギターに任せなかったのだろうか?
 「ジギー・スターダスト」の頃のボウイーのバンド、つまりスパイダー・フロム・マースとボウイーの関係は、バック・バンドとメイン・ヴォーカリストいう感じではなかったように思える。この時期のサウンドは、ボウイーのヴォーカルが見事にバンド・サウンドと一体になっていて、他の時期のボウイー・サウンドとは、明らかに一線を画しているのである。アルバム製作の作業において、ミック・ロンソンは重要な役割を担っていたようで、ソング・ライティングにアレンジに、まさにボウイーの片腕として活躍した。そんなロンソンの才能は、誰よりもボウイー自身がいちばん理解していたことだろう。あの独特のトーンに支えられて、自分がその存在をアピールしていたことを、ボウイーは決して忘れてはいなかったはずである。私は、ボウイーがブリューに対して、こんなことを言っている場面を想像してしまった。「Hey、ブリュー。たしかに、オマエのギターはスゴイぜ。だけどヤツのプレイだけは、マネできないよ。ミック・ロンソンのプレイだけはね!」

 

   
7、ダルベロ

 1984年。私がプロ・ギタリストになる夢を捨てて、就職した年のことである。私は1枚のアルバムを愛聴していた。DALBELLO(ダルベロ?)の「Whomanfoursays」(輸入盤しか見たことがないので、邦題がわからん)である。このアルバムは、ダルベロという正体不明のオネイチャンとミック・ロンソンが2人で製作したアルバムである。ロンソンは、プロデュースとギターの他、ベースとシンセサイザーも担当している。どこで入手した情報であったかは忘れたが、久しぶりで耳にしたロンソンの名前の懐かしさも手伝って、即購入した新譜であった。ところが、このアルバムが素晴らしい内容だったのである。
 リズム・ボックスを多用したチープなリズムには、さりげなくアフリカの躍動があり、哀愁を帯びたメロディには、ほのかにヨーロッパの香りがする。この2年前に発表された、「ピーター・ガブリエル?」をもっと安っぽくしたような感触である。ダルベロのヴォーカル・パフォーマンスは、当時話題のローリー・アンダーソンがマッ青になるぐらいの、知性あふれる表情豊かなものであり、ロンソンのギターは、相変わらず最小限のツボだけをおさえた、シンプルこの上ないプレイであった。ロンソンはシンセサイザーをメインにプレイしており、ギター・パートは絞りこまれたポイントだけに点在していた。全体的に、ジャケット・アートに象徴される、強烈な原色をふんだんに使った油絵のようなサウンドで、パンクもニュー・ウェイブも一段落した当時の停滞した音楽シーンにおいて、傑出した個性を放っている作品である。
 迷わずに断言するが、私はこの作品こそ、ボウイー以降のロンソンの最高傑作だと思っている。ここには、ボウイー以来感じることのできなかった、ロンソンの野心的ともいえる創造性が満ちあふれている。「ロンソン、いまだ死なず!」ニューヨークのビル街を、弾き語り同様の小さなセットで、ドサ回りしているロンソンの姿が目の前に浮かんできた。「やっと、アンタらしくなってきたじゃないか?」

 しかし、期待していたダルベロは、2作目を発表することなく、いつのまにか消滅してしまった。ロンソンもまた、いずこともなく姿をくらましてしまった。生きることに不器用な男は、またしても再浮上するキッカケを逃してしまったのだ。

 

   
8、スウィート・ドリーマー

 ”イアン・ハンター、ミック・ロンソンのコンビ復活”このニュースは、ふたたび私の中の”寝た子”を揺り起こしてしまった。「ロンソン、まだシブトくプレイしていたかぁ」1989年のことだ。私は、彼等の新譜「一匹狼」(余談だが、この邦題なんとかならない?)を、発売初日に購入した。しかし内容は、やはりというか何というか、以前と同じ、モットみたいなストーンズみたいな中途半端な曲ばかりであった。「やっぱ、ダメだなぁ」少し退屈を覚えた私がCDプレイヤーを止めようとした、その時であった。
 「?」たとえようのないくらい、美しいギター・インストゥルメンタルが流れてきたのである。アルバムのラストに収録されている、「スウィート・ドリーマー」だ。美しい、いや美しすぎる、哀愁のギター・プレイがそこにあった。私はとっさに、マイケル・シェンカーがUFO時代に残した「リップスティック・トレイシズ」(アルバム「現象」に収録)という曲を連想した。周囲との軋轢が絶えず、孤立していたシェンカーが、自身の心境をギターに託した名曲である。ギタリストは、時にこのような美しい曲を書くものだ。
 「いやぁ、この1曲を聴くために、このアルバムを買ったとしても、充分価値があるなぁ。」私は心底そう思ったものだ。そして、ひさしぶりにロンソンのギターが、私のイマジネイションを喚起した。「?」不思議な光景が見えてきた。限りなく透明感にあふれる風景なのに、おぼろげで実体がない。「???」ロンソンのプレイも何か変だ?激しく感情移入しているように聴こえるが、どこか醒めている。青白い炎のようである。「!」背筋がゾクっとしてしまった。なぜかその時、直感的に私の脳裏をかすめたもの、それは”ロンソンの死”であった。
 1993年、ミック・ロンソンは肝臓ガンで死去した。「ロンソン、死んじゃうかもよ」さかんに私が言っていたことは、事実となってしまった。末期の肝臓ガンだったとすると、やはりあの「スウィート・ドリーマー」を収録した頃は、すでに発病していたのだろうか。あの美しさは、死を前にした人でなければ表現できないような、純粋で澄みきったものである。醒めたように感じられたのは、悟りの心境であろうか。「”スウィート・ドリーマー”って自分のこと?」私は悲しくて、本当に泣いてしまった。かつての栄光を取り戻すために、夢を追い続けたロンソン。しかし、不器用な生き方しかできなかったために、結局夢を現実のものにすることができなかった。そんな自分の一生を、醒めた目で見つめながら、いとおしみ「スウィート・ドリーマー」を録音した…。多くのミュージシャンの訃報に接してきたが、こんなに悲しい思いをしたのは初めてだった。今でも「スウィート・ドリーマー」を聴くと、ホロっとしてしまう。「なにを、イイ年してぇ」と笑いたいヤツは笑え!「私は、こういう感情を忘れてしまうような”大人”には、一生なるつもりはないからな!」

 

     
9、エピローグ

 1996年のことだと記憶しているが、酔っぱらって帰ってきた私は、ある衝撃的な事件に出会うことになった。
 その頃は仕事がとても忙しくて、少しロックから遠ざかり気味だった。それまでの数年間はユーロ・ロックのコレクションにハマっていたが、遂にCDをチェックする余裕もなくなり、未聴のCDが棚に山積みになっていた。なにげなくテレビのスイッチを入れると、NHKで海外(BBCかなんか?)のロック特集をやっていた。どうも、「グラム・ロック」の特集らしく、デヴィッド・ボウイーが出演していた。「うわっ、なつかしいなぁ。クッソ~、ビデオをセットしておけばよかったな~」場面が一変して、観客のいない劇場が映った。誰もいないステージに向かって、一人の男が客席でギターを弾き始める。「あー!ミック・ロンソン!!」夜中だというのに、私は思わず大声を発してしまった。ヤセこけたミック・ロンソンが、メタリック・パープルのフェンダー・テレキャスターを手に、あろうことか「ジギー・スターダスト」を弾き始めたではないか!「!!!!!」私は、開いた口が塞がらなかった。高校時代あれほど苦労してコピーをした、このイントロを…。ロンソンは、私が予想すらできなかったポジションで、このイントロをキメたのだ。「10フレットォー?こんな高いポジションでぇ?あの感じがでるのかぁ?」翌日、早速試してみたが、やはり私にはロンソンのようなニュアンスは出せなかった。「オマエなんかに、簡単にコピーできるようなギターは弾いていないよ。」ロンソンがほほえんだ。
 私の完敗であった。
 私はこの時、ギターという楽器の難しさ、奥深さを骨の髄まで思い知らされたような気がした。ミック・ロンソンのプレイは、ロンソン以外の誰にも再現できないものなのだ。しかし、誰でもこういうプレイができるワケではない。選ばれた才能のみが、これを可能にするのである。そして、これこそが、究極の”ロック・ギター”なのだ!ギターという楽器が、人の指によって演奏されている限り、今後もこういったプレイが出現する可能性はあるが、果たしてどれだけのギタリストがこの域に到達できるのであろうか。ミック・ロンソンの弾く「ジギー・スターダスト」のイントロは、私の魂に深い残響音を残していった。
 この時以来、私は再びロックに対する情熱を取り戻した。すべてを凌駕してしまう衝撃的な音に、再び出会いたくなったのかもしれない。ところで、彼はあのシーンで、劇場のステージに何を見ていたのだろうか?華やかなりし頃の自分の姿か、それとも…。きっと今頃は、本当に星空のまん中でギターを弾いていることだろう。
 ミック・ロンソンよ、永遠に!

 

 
初出誌:シンコーミュージックMOOK「ニュールーディーズ・クラブ」VOL27(2000年春号)