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web-magazine GYAN GYAN

“存在すること”の不安


 
1、ロジャー・ウォーターズの“宇宙”
 
 
 2002年3月28日、ロジャー・ウォーターズは、東京国際フォーラムに“宇宙”を創造した。この場合の“宇宙”とは、文字通りの物理的な空間のことではなく、人間の内面に存在している精神世界を指している。彼は自己の中にある“宇宙”を、音と光と映像を融合させて、3時間という時空の中に出現させたのである。
 ステージにおけるロジャーは、非常にリラックスしているように見えた。それは、かつて我々が目にした、脅迫観念におびえるナーバスなロジャーでも、傲慢な態度で独裁者としてふるまうロジャーでもなかった。彼は非常に冷静な態度で、自身が抱える精神世界のすべてを、聴衆の前にさらけ出したのである。バック・バンドは各曲のオリジナル・サウンドを再現することに専念し、新たな解釈を加えることは極力抑えられていた。
 「達観したな…。」
 私は、そんなロジャーが、表現者として一段高い境地に到達していることを感じた。修羅場のような創作活動の果てに、彼が辿り着いた境地は“自然体”。すべての事象をあるがままにとらえ、自然に沸き上がってくる創作の意欲に身をまかせるということだ。
 「これから、何かを始めようとしているんだ…。」
 ラストに披露した新曲には、現在のロジャーの姿が投影されていた。会場全体を包み込むような、慈愛の光に満ちたこのナンバーが、彼の新しい第一歩を象徴していたのである。

 そんなロジャーを語る際に、無視することのできない存在がピンク・フロイドだ。
 ロジャー・ウォーターズが1983年まで、ピンク・フロイドの中心的メンバーとして活躍していたことは周知の事実である。ピンク・フロイドは、ロック・シーンにおけるトップ・グループであり、プログレッシブ・ロックというジャンルの創始者だ。ロジャー・ウォーターズは、ピンク・フロイドの基本コンセプトを維持し、音楽ファンに発信し続けてきた。彼のこれまでの創作活動は、その大半をピンク・フロイドに捧げたと言っても過言ではあるまい。

 そして、ピンク・フロイドにおけるロジャー・ウォーターズを語る際に、欠かすことができないキーワードが3つある。
 まず、シド・バレット、
 そして、『The Dark Side Of The Moon』、
 最後に『The Wall』。
 この3つのキーワードがロジャーの精神世界に及ぼした影響力の大きさは、東京国際フォーラムのステージからも、窺い知ることができたのである。
 
 ロジャー・ウォーターズ、リック・ライト、ニック・メイスンが参加していたスクール・バンドとシド・バレットが出会ったのは、1965年のこと。彼等はまず“ピンク・フロイド・サウンド”と名乗り、その後グループ名を“ピンク・フロイド”に改めた。
 “ピンク・フロイド”というグループ名は、シド・バレットが当時飼っていた2匹の猫、“ピンク”と“フロイド”から付けられたそうである。“ピンク”も“フロイド”も、ブルースマンのファーストネームだ。“ピンク”はピンク・アンダースン、“フロイド”はフロイド・カウンシル。
 グループ名の由来からもわかる通り、初期のピンク・フロイドはシドのワンマン・バンドである。シド・バレットが、ピンク・フロイドの基本コンセプトを確立したのだ。そしてシドは、シュールな詩とサイケデリックな音のセンスによって、次第にカリスマ視されるようになったのである。
 しかし、シドを含めたピンク・フロイドのメンバーは、音楽を表現するテクニックが稚拙過ぎて、カリスマの意識の中にある音を、100%表現することができなかったのだ。おかげで、ピンク・フロイドのデビュー・アルバム『The Piper At The Gates Of Dawn(夜明けの口笛吹き)』は、“少しねじれた奇妙なポップス”という印象を聴き手に与える程度の、中途半端な完成度で終わってしまったのである。
 例えば、「Interstellar Overdrive(星空のドライブ)」というナンバーがある。イレギュラーなタッチのリフが印象的で、コンセプトもおもしろい。しかし、演奏が今一歩であるため、インプロビゼイションが白熱せず、不完全燃焼の状態のまま終わってしまうのである。おかげで聴き手は、熟していない果物を食べた後のような、物足りなさを感じてしまうのだ。
 “おもしろい”が“凄い”へ熟成しなかったことが、初期ピンク・フロイドの致命傷になっていたのである。しかし、ピンク・フロイドのマネジメント側は、そのような状態を気にもとめずに、彼等をポップ・アイドルとして売り出すことに執心した。シド・バレットの、耽美的な美少年ぶりが災いしたのだ。ピンク・フロイドは、1967年10月から始まるアメリカ・ツアーを計画した。そして、悲劇はここから始まったのである。
 
 
2、シド・バレットの遺産
 
http://matsuzack.jougennotuki.com/simpleVC_img/pinkfloydwithsyd.jpg
  カリスマとして賞賛されるが、満足な結果を残せない自分との葛藤。グループの意向をまったく無視した、ミスマッチなブッキング。シド・バレットは次第に、演奏することに対して、強力なストレスを感じるようになっていった。そして、ストレスのはけ口をドラッグに求めたのである。ジミ・ヘンドリックスやブライアン・ジョーンズと同様の悲劇が、ここでも起こりつつあったのだ。
 当時のアメリカは、ドラッグ・カルチャーの真っ只中。ありとあらゆる種類のドラッグが、容易に入手できたといわれている。しかし、耐性のないイギリス人がイキナリ手を出すには、少しばかり刺激が強過ぎたようだ。それでなくても繊細な神経の持ち主だったシド・バレットは、少しずつ精神に変調をきたし始めてしまったのである。
 グループがツアーの続行を不可能と判断するまでに、それほどの時間はかからなかった。ピンク・フロイドは、1967年のアメリカ・ツアーをスケジュール半ばで中止。この時点で、すでにシド・バレットの状態は、回復不可能なレベルまで悪化していたといわれている。イギリスに帰国したピンク・フロイドは、フランスでファッション・モデルをやっていたデイヴ・ギルモアを加入させ再出発を図った。そして、シド・バレットは、1968年3月、正式にグループから脱退。2枚のソロ・アルバムを発表した後、音楽界から完全に姿を消してしまった。
 
 そして、彼の精神状態は2度と回復することがなかったのである。しかし多くのファンは、シドが去ったグループに対して、彼の幻影を求め続けたのだ。
 この時点で、ピンク・フロイドというグループは、シド・バレットの遺産を継承しなければならない宿命を背負わされてしまったのである。

 再出発を図ったピンク・フロイドは、1968年3月『A Sauceful  Of Secrets(神秘)』を発表。新たに加入したデイヴ・ギルモアは、“きちんとギターを弾くことができる”ギタリストであり、これ以降グループ全体のテクニック向上を牽引していくことになる。映画のサントラ『More(モア)』をはさんだ1969年10月には、2枚組の大作『Ummagumma(ウマグマ)』を発表。ライブ録音のA面では、シド・バレットの作品を見事に再生させている。グループの音楽的な才能が、開花し始めたのだ。
 そして1970年10月、『Atom Heart Mother(原子心母)』を発表。全英チャート1位に輝いたこのアルバムをきっかけとして、ピンク・フロイドの名前は一躍メジャーな存在になるのである。ドラッグ・カルチャーから生まれたサイケデリック・ミュージックは、より芸術性を高めたプログレッシブ・ロック(前衛的なロックを意味する)へと発展し、ピンク・フロイドはプログレッシブ・ロックをリードする存在になったのである。
 『Atom Heart Mother(原子心母)』は、オーケストラを導入しA面すべてを使ったタイトル曲が話題になったが、メンバーそれぞれが曲を提供したB面の小曲群にも注目すべき点が多いのだ。ロジャー・ウォーターズ作の「If(イフ)」、リック・ライト作の「Summer '68(サマー68)」、デイヴ・ギルモア作の「Fat Old Sun(デブでよろよろの太陽)」。
 中でも、ロジャー・ウォーターズ作の「If(イフ)」は、重要なメッセージを発信している。

 もし、僕がひとりぼっちだったなら、きっと泣いてしまっただろう
 でももし、君といっしょだったなら、泣かずに家に帰っただろう
 でももし、僕が気が狂ってしまっても、君はまだ僕を仲間に入れてくれるだろうか

 シド・バレットは、その豊かな才能ゆえに、“彼岸の世界の住人”になってしまってからも、多くの人々から慕われている。ロジャー・ウォーターズは、それを自分に当てはめてみたのである。自分が“彼岸の世界の住人”になったとしたら、シド・バレットと同じように多くの人々から慕われ続けるだろうか?自分にシド・バレットと同じレベルの才能があるのだろうか?
 当時のロジャー・ウォーターズには、まったく自信がなかったのである。彼は、アコースティック・ギターの弾き語りによるソフトなこの曲で、その心境を淡々と語った。
 ロジャー・ウォーターズは、若くして“彼岸の世界の住人”になってしまったシド・バレットの才能を惜しみ、哀惜の念に耐えられなかったと言われているが、そうではないだろう。むしろ、若くして“彼岸の世界の住人”になってしまったシド・バレットに対して、憧憬のまなざしを送っていたのである。
 
 
3、『The Dark Side Of The Moon』
 
http://matsuzack.jougennotuki.com/simpleVC_img/waters.jpg
  1973年3月、ピンク・フロイドは、『The Dark Side Of The Moon(狂気)』を発表。アルバムは、全英2位、全米1位を記録。最終的には、これ以降の15年間、連続724週にわたって全米トップ200にランクインされるという、怪物的なセールスを記録することになる。
 アルバムの基本コンセプトは、前述の「If(イフ)」における、“彼岸の世界”を普遍化して昇華させたものである。日常の世界に存在している、“彼岸の世界”。そして、誰でも自分の中に抱えている、“彼岸の世界”。ロジャー・ウォーターズは、あらゆる角度から、“彼岸の世界”を語り尽くしたのである。“彼岸の世界”は、邦題の“狂気”と置き換えてもよいだろう。
 そしてロジャーが、“彼岸の世界”の向こう側に見ていたものは、“死”である。

 すべての人間にとって、等しく受け入れなければならない現象が“死”である。“死”は、容姿、貧富、能力にかかわりなく、誰にでも訪れる。命あるものは、この世に生まれ落ちた瞬間、すでに“死”を宿命づけられているのだ。
  しかし、命あるものにとって、“死”を意識することは苦痛である。そして、“死”を意識することによって生じるものは、“自己の存在に対する不安”だ。「自分は何者であるか?」、「自分はどこからやって来たのか?」、「自分はどこへ行こうとしているのか?」、「自分の存在価値とは何か?」。多くの先達たちは同じ問いを繰り返し、“自己の存在に対する不安”から逃れるために、さまざまなことを試みた。それがいわゆる、創作活動全般である。
 自己の存在を証明するために、人は絵を描いたり、文章を書いたり、そして曲を作ったりするのだ。

 ところで、人間の老化現象のひとつに、“痴呆”がある。“痴呆”は、死の恐怖から解放されるために、自然が与えた恩恵であるといわれている。“痴呆”によって“彼岸の世界の住人”になってしまった人は、もはや自己の存在に対する不安にかられ、死の恐怖に苛まれることもなくなるのである。そう考えると“彼岸の世界の住人”になることは、真の意味で魂を自由に開放することかもしれない。
 ロジャー・ウォーターズは身近に、その実例を見た。
 若く美しいまま時間を止めてしまった、シド・バレット。ドラッグで癒されることのなかった彼の魂は、“彼岸の世界の住人”になることで永遠の安息を手に入れた。
 『The Dark Side Of The Moon(狂気)』のコンセプトは、シド・バレットに対する憧憬を、人類普遍のテーマに昇華したものである。この、きわめてレベルの高いテーマを、ロジャー・ウォーターズは簡潔な言葉でまとめ上げた。アルバムを発表してもけっして歌詞を掲載しなかった彼等は、このアルバムではじめてジャケットに歌詞を印刷した。この事実から、彼がこのアルバムの歌詞の完成度に、いかに自信を持っていたかが伺える。
 そして、その歌詞に負けない、完成度の高い音。まったく隙のないアレンジは、ほぼ完璧と言っても過言ではあるまい。まさに、ロック史に残る、究極の1枚である。
 『The Dark Side Of The Moon(狂気)』は、製作した当人たちの予測をはるかに超えるレベルで売れまくった。ピンク・フロイドはついに、シド・バレットを超えることに成功したのだ。
 ロジャー・ウォーターズがシド・バレットの幻影から解放されたことは、つづいて1975年9月に発表された『Wish You Were Here(炎)』収録の、「Shine On You Crazy Diamond(狂ったダイアモンド) 」によって明らかである。
 『The Dark Side Of The Moon(狂気)』の“動”に対して、対極の“静”を連想させる穏やかなサウンドに乗って、ロジャーはクールに歌うのであった。

 キミの狂気は固い結晶になってしまった
 ひたすら世の中を超越して輝き続けてくれ

 一段高い境地に到達したからこそ見えた、狂気のカリスマの真の姿がここにある。私は、シド・バレットに対する永遠の賛歌を発表したこの時点で、ピンク・フロイドはその活動を完了させるべきだったと思っている。しかし、彼等はその後も活動を継続させた。
 『The Dark Side Of The Moon(狂気)』の成功がもたらしたものは、シド・バレットの幻影から解放されることだけではなかったのである。
 自分達に対する、過剰なまでの自信。
 ロジャー・ウォーターズは、今度は自分のコンセプトに基づいて、ピンク・フロイドを率いて行くことを決心したのである。
 
 
4、カリスマになれなかったロジャー
 
 ロジャー・ウォーターズの深層心理において、無視することのできないキーワードに、父親の存在がある。ロジャーは父親の顔を知らずに育った。彼の父親は、第2次世界大戦で戦死しているのである。自分という存在をこの世に残して、彼の父親は他人によって不条理の死を強制された。本人の望まない手段で、“死”を迎え入れなければならなかったのだ。

 戦場。そこは、常に“死”と隣り合わせの空間である。兵士達が、“死”を意識しない瞬間はない。そして、その“死”は、国家の指導者達によって強要されたものである。
 毎日、数えきれないほどの兵士達が傷つき、そして死んでいく。しかし、国家の指導者達は、まるでチェスの駒でも動かすように、失った戦力を補充し戦いを継続させていく。我々が忘れてはいけないことは、チェスの駒と違って兵士達には、それぞれの人生が存在しているということだ。どの兵士達にも親兄弟や家族があり、大切なものがあり、喜怒哀楽があり、 過去があり、そして未来がある。そのすべてを、一瞬にして奪われるのだ。それが、戦争である。
 『The Dark Side Of The Moon(狂気)』に収録されている、「US And Them(アズ・アンド・ゼム)」の歌詞には、このことに関するかなり具体的な表現がある。

 「突撃!」と背後から叫ぶ声で、最前線の部隊は死んでいった
 椅子に座った将軍が、境界線の動きを見つめていたとき
 黒と青
 誰が物を、人を、区別できるというのだろうか 

 ここからは、不条理の“死”を強要された父親への思いと、強要した権力者側への感情が複雑に交錯していることが伺える。おもしろいことに、ロジャー・ウォーターズの深層には、不条理の“死”を強要された側に対する同情よりも、権力者側に対する憧憬のようなものが存在していたようである。
 それが、『Animals(アニマルズ)』(1977年)〜『The Wall(ザ・ウォール)』(1979年)という、ピンク・フロイドがビッグ・ネームになった時期に、表面化したのである。ロジャー・ウォーターズは、聴衆と自分達の間に壁が存在していることをさかんに主張した。そして、実際のステージにこれを出現させてしまった。「自分達の表現していることが、聴衆に100%理解されていない。」と言うのである。当時はあまり問題視されなかったが、ミュージシャンとしてこれほど思い上がった考え方はないだろう。これは、少なくとも音楽の世界において、不可能なことがなくなった自分に対する、過剰な自信の表われなのである。ロジャーは、独裁者になろうとしていたのだ。
 しかし、愚弄された聴衆は、この事実にすぐ気がついたのである。そのおかげで、『The Wall(ザ・ウォール)』の続編ともいえる、『The Final Cut(ザ・ファイナル・カット)』(1983年)は惨澹たる失敗に終わった。そしてロジャー・ウォーターズは、他のメンバーからも愛想を尽かされ、ついにピンク・フロイドを去ることになったのである。

 シド・バレットというカリスマを超越した、ロジャー・ウォーターズ。しかし彼はついに、カリスマには成り得なかったのだ。

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 自らの愚を悟り、彼が辿り着いた境地。それは、すべてを流れのままに任せてしまうこと。そして、原点に帰って、素直に音を楽しむことである。音楽とは文字通り、音を楽しむものであるということを、人は往々にして忘れてしまうようだ。
 音を楽しみながら、過去の自分を振り返ってみたい。それが、今回の来日公演の全貌だったのである。シド・バレットの映像が現れても、ピンク・フロイド時代のナンバーを演奏しても、そこには悲愴感も絶望もなかった。私が感じたのは、ただその音楽の素晴らしさだけであった。
 このような境地に到達したロジャー・ウォーターズが、これからどのような活動を展開していくのか、非常に興味深いところである。
 ローリング・ストーンズ、ジェフ・ベック、そしてロジャー・ウォーターズ。20世紀を生き抜いたロッカーたちは、いずれもしっかりとした足どりで、新しい世紀に第一歩を踏み出しているのだ。
 


 

(初出;『文学メルマ』2002.6.25、7.3、7.10、7.17号)