1、ギブソン・レスポールとマーシャル・アンプ さて、そもそも“ハードロック”というものは、いったいいつ生まれたのであろうか。 私がこんな質問をしたら、みなさんはどのように答えますか? キンクスの、「ユー・リアリィ・ガット・ミー」のリフから始まったのだ。ローリング・ストーンズが、「サティスファクション」でファズを使用してからだ。いや、「ワイルド・シング」だ。なにを言うか、「ボーン・トゥー・ビー・ワイルド」に決まっているだろう。「キープ・ミー・ハンギング・オン」じゃないですか…等々。 きっと議論百出して、収拾がつかなくなるだろう。実態は、明確な起源は特定できないが、いつのまにかそのような音が流行し始めて、気がついたらシーンが形成されていた、というところではないだろうか。しかし、私はあえて、この議論にトドメを刺したい。使用機材に注目すれば、“ハードロック”の起源を特定することができるのだ。後に、“ハードロック”・ギタリストの三種の神器と言われるようになる、ギブソン・レスポールとマーシャル・アンプというセットアップ。これを、広く世に伝えた者こそが、“ハードロック”のルーツなのである。 それはいったい、誰であろうか。 ブルースブレイカーズ時代のエリック・クラプトン。 彼こそが、“ハードロック”のルーツなのである。 今では信じられないことだが、ギブソン・レスポールというギターは、発売当初まったく人気が出なかったそうだ。このギターが発表された1950年代後半は、サーフ・ミュージックの全盛期だった。サーフ・ミュージックにマッチするのは、どちらかというとフェンダー・ギターだ。そのため、ジャズ・マスターやジャガーといったフェンダー・ギターに、ギター・キッズの人気が集まっていたのだ。当時のフェンダー社は、エレキギター市場において、ギブソン社よりもはるかに優位な立場にあったといえる。 ギブソン社は、いっこうに人気の出ないレスポールの生産を、1960年でいったん打ち切ることにした。そして、フェンダー・ギターを意識して、ボディの軽量化、ハイ・ポジションでの弾きやすさ、トレモロアームの標準装備を導入して、モデル・チェンジを図る。こうして、後にSGとよばれることになるギターが誕生した。 どうしてクラプトンは、そんなレスポールを使う気になったのだろう。 クラプトンあこがれのブルースマン、フレディ・キングは、ゴールド・ドップの1954製ギブソン・レスポールを愛用していた。LP『レッツ・ハイダウェイ・アンド・ダンサウェイ』のジャケットに登場するギターである。クラプトンも、すでにこのギターの存在は知っていただろう。しかし、フレディ・キングの使用によって、急激に関心が高まったのではないだろうか。 「あこがれのブルースマンと、同じギターを使ってみたい。」 私は、クラプトンがレスポールを入手したきっかけは、その程度の動機によるものだったと推測している。 ところでクラプトンは、なぜフレディ・キングの1954製ではなく、1960年製のレスポールを選んだのだろうか。その理由は、クラプトンの使用するギターに共通している、ある特徴的なスペックの部分にあった。エリック・クラプトンは一貫して、スリムなネックのギターを好んで使用している。1960年製のレスポールのネックは、スリムなタイプが主流である。したがって、クラプトンがこのモデルを気に入った理由は、ネックの感触によるものと思われる。同じギターが数本置いてあれば、いちばん自分の好みに近いネックのギターを選ぶのは、自然なことだ。 ちなみに余談だが、ジミー・ペイジの1958年製レスポールのオリジナル・ネックは、かなり太かったそうだ。ジミーは、そのネックが気に入らず、自分の好みに合わせて細く削ってもらったといわれている。それほど、ギタリストにとって、ギターのネックの感触は、重要な問題なのである。 かくして、エリック・クラプトンは、ギブソン・レスポールを入手した。そしてそのギターを、イギリス国産の新進ブランド、マーシャル社製のアンプにプラグインした。この組み合わせが、後のロック界を一変させてしまうのだ。 |