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たたかふ、ちうねんろっかぁ!番外編 | |
「主人公の運命はドラマや劇画より悲惨だった」 1 2003年2月24日(月) その日は間違いなく、俺の人生における最悪の日のひとつに数えられることだろう。 いつものように昼休みを終えた俺のところへ、人事担当の役員がやって来た。 「ちょっと、いいかな…。」 3月は、組織変更と人事異動の月である。俺が今の部署を担当するようになって、3年が過ぎた。ついに、他の部署へ移る時がやって来たのか…。 俺と人事担当の役員は、打ち合わせ用の小部屋へ入った。 「君とは昔から懇意にしてきたので、私の口からこんな事を言うのは本当に辛いんだ…。」 「?」 「しかし、これも私の役目だから仕方がない。」 「???」 「本日午前に開催された、役員会議における決定事項を伝えます。 君には、今月いっぱいで当社を退職してもらいます。そして、現職の課長から2階級降格して、子会社へ転籍することを勧奨いたします。 理由は、ISO9001/2000年版への移行に際して、当社の最高機密を社外へ漏洩した疑いによるものです。」 「ええっ!?」 晴天の霹靂とはまさにこのことだろう。 俺の頭の中は、一瞬にして真っ白になってしまった。 「社長が、今回の件でひどくご立腹でね。いっそクビにしてしまえ、とまで言ったほどなんだ。しかし君は、当社のISO9001認証にあたっては最大の功労者。それはあまりにも酷いのでは、と取りなす役員が現われてね。子会社への転籍ということになったんだ。」 「いや、私は…。」 「その件を否認していることは、君の上司から何度も説明を受けたよ。しかし、我が社は社長のワンマン会社だから、社長がこうだ!と言ったら誰も逆らえないんだよ。それは、わかってくれるよね。」 「はぁ…。」 「社長は、この件で文句があるのなら自分の所へ来い、とおっしゃっているんだが…。」 「それは、やめときましょう。」 「じゃ、副社長と話しをするかい?それなら、私がセッティングをするから。」 「お願いします。」 打ち合わせから戻った俺は、直接の上司と部下にこのことを打ち明けた。 上司は俺に謝った。 「私の力が及ばなかった…。本当に申し訳ないことをした。」 「いや、相手が社長じゃ、仕方ないでしょう。」 「ここはひとまず子会社へ行って、ほとぼりが冷めるまで辛抱してくれ。」 「もう迷っている余裕もないので、素直に従いますよ。生活もかかっていることだし…。」 部下は怒り狂った。 「そんなバカな!課長は悔しくないんですか?こんな話しが通用するなんて、我が社はもうオシマイだ。」 「ふむ…。」 俺は、この会社がISO9001の認証を受けた時の、準備室室長であった。同業の中で全社一括認証を受けたのは、この会社が初めての事例だ。外部公表をすると、すぐにマスコミが取材にやって来た。俺は、“カリスマ課長”だの“青年将校”だのと言われ、もてはやされた。社内でも、旧態然とした体制の打破を目指す、改革派の先頭に立った。俺の一挙手一投足に、全社の注目が集まるようになったのである。若手は俺の後ろ姿に、将来の希望を見い出していたようだ。部下が怒るのは、当然のことと言えるだろう。 しかし…。 俺は不思議な気持ちだった。 上司のように悲しむこともなく、部下のように怒りがこみ上げることもなく、また悔しくもなかった。 ただ、自分はこんな企業に20年近く在籍していたのか、こんな企業に革命を起こそうとしていたのか、真っ白な頭の中をかけめぐったのはこんな思いだけだった。 冷笑というか、蔑笑というか、そんな笑いが顔に張り付いていた。 俺は正直、そんな自分の気持ちにとまどっていた。 その夜、俺は家族と話し合った。 妻と、同居している俺の老父母。 当然、家族は怒り心頭であった。特に、この会社で定年を迎えた、父の怒りは烈火のごとくであった。 父は就職活動に難航していた俺に、この会社へ就職することを勧めてくれたのだ。当初は転職することばかり考えていた俺だったが、やがて結婚して子供が生まれ生活が軌道に乗ると、いつしかそんな気持ちは薄れていった。今回の件は、そんな俺の“寝た子”をふたたび揺り起こしてしまった。 しかし、父は社長の性格もよく知っていた。 「一度、感情を損なうと、しつこいからなぁ…。」 俺も同感だった。心外ではあるが、やはり会社の決定に従って、子会社へ行くしかないだろう。なによりも、生計の維持が第一である。 最後に俺は、あきらめ加減にこう言った。 「とりあえず、子会社へ行ってみるよ。それから、考えることにする。」 妻はそれに対して、こう言った。 「私も一生懸命サポートするから、家のことは心配しないで。あなたは、何も悪いことをしていないんでしょう?それなら、胸張ってがんばって。」 | |
| 2 次の日。 俺は、人事担当役員の同席で、副社長と話しをした。 副社長は、社長の実子である。当然、次期社長と目されている。俺は、自分と同世代の彼に将来を託した。しかし最近ではなぜか、社内における副社長の発言力がやや衰え気味である。それにともなって、俺と副社長が接触する機会も減っていた。 副社長は開口一番、こう言った。 「残念ですね…。」 「私も残念です。しかし、社長がおっしゃられているようなことは、事実ではありません。私は、機密事項を社外へ漏らした覚えはありません。」 「私も、そんなことはないと思っています。しかし、会議の席でこの話しをしたら、彼ならやりかねないとか、日頃から上層部批判が激し過ぎるとか、そう言えば昔から上司に突っかかってばかりいたとか、そんな意見を言う役員が出てきてね。結局、このようなことになってしまいました。」 ああ、そうか…。そういうことか。 俺は入社して以来、弱い者いじめをしたことがなかった。突っかかるのはいつも、目上の者や上司と決まっていた。後輩や部下をいじめることなど、一度たりともしたことがなかった。部下の失敗は、必ず自分が背負った。自分で言うのも何だが、ドラマや劇画の主人公のような管理職だったはずだ。“サラリーマン金太郎”や“課長・島耕作”は、現実に存在したのである。 しかし現実は、ドラマや劇画の世界とは違った。上層部の人間はずっと、そんな俺を煩わしく思っていたのだ。 ISO9001/2000年版への移行については、副社長と俺の上司を筆頭とする改革推進派と、消極的な縮小案を提案する一派に分かれて、上層部での議論が紛糾していた。そんな折に、ある社外の人間が新年の挨拶で来社した際、社長に対して消極的な縮小案の愚を諭した。 これが、今回の件の発端である。 「アイツが、社外の人間を使って、ワシに説教しおった。」 俺には、そんなことを画策した覚えはない。社外の誰の目にも、ISOの規模を縮小することは愚かな選択であると、映っているだけのことだ。それがわからないのか?しかし、一部の役員は社長と結託して、1月の役員会で縮小案を強行突破させた。 そこで、俺の存在が邪魔になったのだ。 俺には、今回の一件の裏がすべて読めたような気がした。 「私は、懲戒解雇なんですか?」 「いや、そんなことはありません。会社都合による勧奨退職です。」 「じゃ、退職金は出るんですね。」 「それは、当然です。」 よかった。取りあえず、当面の生活費に困ることはなさそうだ。 「私は、子会社へ行きますよ。」 「そうしてくれますか。」 「今は、それしか考えられません。」 「まぁ、私は子会社の役員ですから…。」 安心しろ、ということか。なるほど。 数日後、俺は副社長の言葉に裏切られることになるのだが、この時はこれで一件落着したものと思っていた。
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3 俺は人事担当の役員から、「今回の件は、あまり口外しないように。」と言われた。 彼は、これ以上俺の立場が悪くなることを、食い止めようとしたのである。 俺の影響力を考えると、この話しが伝わった場合に起こりうる事態は、容易に予想がつく。現状に不満を持っている社員の何人かが、きっと社長へ抗議に行くことだろう。そうすれば、ただでさえ感情的になっている社長のことだ。「子会社への転籍を取り消せ!」とか、「退職金など支払わなくていい!」などと言い出しかねない。事実、社長の逆鱗に触れて退職金が削減された事例を、俺は過去に見たことがある。 端から見たらバカバカしい話しであるが、俺は素直に従うことにした。 しかし、俺にも“付き合い”というものがある。 まさか、懇意な連中に対してまで、ずっと黙っている訳にもいくまい。 そこで俺は、数名の者にだけ、こっそりと事情を打ち明けることにした。 同年輩の男連中は、みな一様に激怒した。「そんなバカな!」、「なんで黙っている!」、「もう、何も信じられない!」。中には涙を垂らしながら、真っ赤になって怒り狂う者もいた。 女の子達は、みな涙ぐんだ。「あんなに一生懸命やっていたのに。」、「課長、かわいそう。」、「年寄りなんか、みんな辞めちゃえばいいのに。」。 みんなありがとう。俺は、企業の中の人間関係って、利害の上に成り立った、もっと荒涼としたものだと思っていた、でも、みんなはそうではなかったんだ。俺は、みんなとそんな付き合いが出来たということだけで、この会社にいてよかったと思えるよ。 毎晩、誰かが俺の送別会を開いてくれた。 俺は寄り道をして酒を飲むより、早く自宅へ帰りたい気持ちの方が強かったが、みんなの好意の成すがままにした。あと数日で、ここともお別れなんだ。 酒が入ると、感情が昂ってくる。始めは和やかに談笑しているが、やがて座に悲哀が満ちてくる。俺は、酔えば酔うほど無口になってしまった。無口になって、ただみんなの会話をぼんやり眺めていた。その口元には、冷笑とも蔑笑ともつかない、冷たい笑いが貼り付いていた。 そんな俺を見て、みんなは最後に泣き出すのである。 俺は、成人の男が人前を気にしないで泣きじゃくる姿を、この歳になるまで見たことがなかった。 「時期が来るまで、子会社で辛抱していてくれ。くれぐれも、短気だけは起こすな。」 それに対して俺は、むりやり笑顔を作って、「わかったよ。」と言うのが精一杯であった。 | | | |
| 4 2003年2月27日(木) 人事担当の役員が、また申し訳なさそうに俺のところへやって来た。 「ちょっと、いいかな…。」 俺達はふたたび、月曜日と同じ小部屋へ入った。 「最悪の結果になってしまったよ…。」 「へっ?」 「子会社の契約条件なんだが…。なんとか特例で対応してくれと頼んだんだけど、先方もいろいろあるらしく、それはできないということなんだ。他の社員と同じ扱いでなければ、受け入れられない。こう返答してきたんだよ。」 「はぁ…。」 「まず身分は、正社員ではなく準社員ということ。そして年俸は、現在よりおよそ90万円のダウン。その年俸を12で均等に割るか、賞与を設定して残りを分割するか、それは君の選択に任せる。それから、通勤交通費なんだが、上限があってね。月30,000円を超える分については、自己負担ということになっているそうなんだ。」 「ええっ!?」 これは、酷過ぎる。 給与のダウンは覚悟していたものの、通勤交通費の件は正直辛いものがある。 子会社は、現在の通勤時間にプラス40分程度の距離である。当然、交通費は上限で収まるはずもない。 しかし、俺には迷っているだけの余裕がなかった。 なにしろ、あと2日しかないのである。 どんな悪条件でも、とりあえず行くしかないだろう。 「それでもいいですよ…。年俸は、12で均等割りにしてください。」 俺は吐き捨てるように、そう言うしかなかったのである。 | |
5 ISO9000シリーズとは、企業のシステムに関する規格である。認証を受けた企業は、「私達の会社はこれだけしっかりしているのだから、どうぞみなさん安心してご利用下さい。」ということを、世界のどこへ行っても言うことができる。つまり、経営者のための規格なのである。経営者的な視点を持たなければ、この規格を理解することはできない。 これを、「専任部署を作ったんだから、あとはよろしく。」とやられてしまったら、担当者に悲劇が訪れるのである。担当者になった従業員は必死になって、経営者感覚で仕事をする。情け容赦のない外部の目にさらされるため、ついついやり過ぎてしまう。その結果、やり過ぎたISO担当者は、社長と対立して自ら会社を去るか、末端の職場から非難され会社を去るか、いずれにせよ悲劇的な末路を辿ることになる。審査員やコンサルを生業とする者の中には、このような過去を持つ者が少なくない。彼等は俺に対して、こう忠告するのであった。 「私のようになるなよ。けっしてやり過ぎてはいけない。」 しかし、俺も彼等と同じ道を辿ってしまった。 上層部は、ISOなどまったく理解していない。 その状態でISOを維持していたのは、これを使って社内を改革しようと考えた、有志の結束の賜物である。妙な話しだが、本来経営者のための規格であるにも関わらず、我が社のISOは下から積み上げたものだったのである。 俺は、その責任者であった。責任者であるからには、いつも毅然としている必要があった。激しく神経を消耗した俺は、すっかり不眠症になってしまい、精神安定剤を乱用したおかげで、ボロボロの身体になってしまった。こんな俺の孤独は、誰も理解することができなかっただろう。 しかし、 俺は、出世とか報酬といった、自分の利益のためにこの仕事をしたことはなかった。 そして、 俺は、会社の将来を本気で憂いていたのだ。 会社の為に、「よかれ」と信じることを実践してきたつもりだ。 その結果、やり過ぎが生じたとしても、 誰が、俺にこの仕事をしろと命じたのだ? 誰が、本来やるべき事をやらなかったから、俺がやる事になったのか? 結局俺は、経営者の視点でどれだけ仕事をしても、経営者ではなかったのだ。 そして、その他大勢の、どうでもいいような、怠惰で無自覚な卑しい連中に刺された。 “サラリーマン金太郎”や“課長・島耕作”は、現実ではこうなるのである。 そして現実は、ドラマや劇画よりも悲劇的な結末を用意していたのだ。
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| 6 2003年2月28日(金) 俺の、この会社における最後の日がやって来た。 俺はいつもの時間に家を出て、いつも通りの勤務をした。 終業の1時間ほど前になって、俺は各部署へ挨拶に行った。 みんなすぐには信じられない様子で、「なんで?ウソでしょ?」と狐につままれたような顔をしていた。無理もないことである。ほとんどの連中は、今日まで何も知らされていなかったのだ。俺が挨拶をした後は、まるで会議室のような喧々囂々とした騒ぎが起こっていた。 勤務中であるにもかかわらず、ボロボロと大粒の涙をこぼす女の子がいた。その一方で、「せめて、笑顔で送り出したい。」と涙をこらえていた女の子もいた。「課長の下で働きたいから、いっしょに連れて行ってください。」と言ってくれる女の子もいた。彼女達のそれぞれの反応に接する度に、俺はグッと感極まりそうになった。 終業後、数名の有志が最後の送別会をやってくれた。 俺の部下は最後まで涙を見せなかった。 「よく我慢したな。でも、俺がいなくなった後が、お前の正念場なんだぞ。がんばれよ。」 俺は最後に、彼に向かってそう言った。 「そんな優しい言葉をかけないでくださいよ。やっとの思いで、我慢しているんですから。」 そして、わざと、いつものような別れ方をした。 男同士の付き合いは、勤め先が変わったぐらいで途絶えるような、軟弱な存在ではないはずだ。 俺が帰宅すると、深夜であるにもかかわらず、妻は待っていてくれた。 そう言えば、妻と知り合った場所も、この会社だったっけ…。 俺はわざと、おどけてこう言った。 「ただいま。18年11ヶ月の勤務、本日すべて終了いたしました。」 「ご苦労様でした。」 妻の笑顔を見たその瞬間、張りつめていた糸が切れた…。 俺は、妻にしがみついて、泣き出してしまった。 それにつられて、妻も俺にしがみついて泣き始めた。 2人してしばらくの間、子供のように泣きじゃくった。 けっして、悲しかった訳ではない。ただ、無心に泣きたかっただけだ。 「また、がんばろうね。」 「うん、がんばるよ。」 その夜、俺達は泣き疲れると、子供のように手をつなぎながら眠った。 冴えない週末の時間が、なんとなく過ぎていった。 1日早い桃の節句を祝った夜、俺は子供達に職場が変わることを話した。もちろん、かなり省略した、当たり障りのない表現を使った。おかげで子供達は、たいして驚いた様子もなかった。それでいい。子供が余計な心配をすることはない。 | |
7 2003年3月3日(月) 俺は、いままでよりずっと早い時間に家を出た。 子会社への初出勤だ。 何度か電車を乗り継ぎ、最後はバスに乗って目的地へ着いた。俺は、この長い通勤時間に、果たして耐えることができるのだろうか。 子会社の社長は、俺のかつての上司である。 しかし彼は、旧交を温める暇もなしに、いきなり俺に冷水を浴びせかけた。 「事情は聞いたし、君にもいろいろ言い分はあるだろうけど、あそこは社長のワンマン会社だからね、復帰できるかもしれないなどとは考えない方がいいよ。で、君の契約期間はとりあえず1年だけど、その先継続するなんてことも考えない方がいい。せめてもの良心で、ここへ引き取っただけさ。悪い事は言わないから、早く転職先を見つけなさい。」 俺の中で、何かが音を立てて崩れ去った。 これは救済措置でもなんでもない。俺を徹底的に潰すための措置だったんだ。副社長の言葉に甘い期待をかけた、俺がバカだった。 そして、俺は肉体労働をする部署に配属された。 作業着を来て黙々と単純作業をする。 2階級降格して係長?けっ、笑わせるんじゃねぇよ。そんなの、単なる事務手続上のことだけじゃないか。ここじゃ、新米のいちばん下っ端の労働者よ。 俺は、自分で自分を嘲笑った。 同じ部署の連中は、そんな俺に非常に親切にしてくれた。 特に俺の母親ぐらいの年齢の女性従業員は、殊の外親切だった。 お茶を飲みなさい、お菓子を食べなさい、座って休憩しなさい…。彼女の言葉のひとつひとつが、俺の胸に温かく沁みた。 しかし、困った問題が生じてしまった。 それは、この部署の出社時間が午前7時であるということだ。 これは、俺には無理な注文だった。自宅のある駅を、始発電車で出ても間に合わない。 「それじゃ、無理ですね。でも、8時じゃ、だいたい作業が一段落しちゃうし…。どうするつもりなんだろ?」 若い、人の良さそうな従業員がそうつぶやくのを見て、俺は決心した。 終業時間になり、俺はそそくさと退社した。 その日は、傘が用を為さないほどの、ものすごい暴風雨だった。 俺は、途中で傘をさすことをあきらめ、濡れるにまかせて歩いた。そして、天に向かって泣きながら吠えた。 「もう、たくさんだ。 これ以上、俺は我慢できないぞ。 もう、おまえらのような下衆な奴らとは、すっぱり縁を切ってやる。」 俺は、雨と涙がいっしょくたになった、もの凄い顔で帰宅した。 俺のただならぬ様子に気がついた妻が、今日の事を尋ねてきた。 俺は報告しながら、自分の決心を伝えた。 「長時間通勤の上に肉体労働じゃ、体を壊してしまうわ。」 「肉体労働する気なら、そんな遠くまで通わなくても、いくらでも勤め先はあるぞ。」 「そんな惨めな思いをするくらいなら、いっそ新天地でやり直した方がいい。」 家族は、俺の決心を後押ししてくれた。 翌日。 俺は前日と同じ時間に、子会社へ出社した。 子会社の社長は、まだ出社したばかりであった。 「すいません。今回の転籍の件はなかったことにしてください。」 「ああ、そうするかい。」 「ええ、雇用契約は結びません。したがって、昨日の労働についての報酬もいりません。」 「ああ、その方が有利だね。」 彼は社会保険労務士である。俺の言わんとすることは、すぐに理解したらしい。 「わざわざ来てくれなくてもよかったのに。昨日と今日の交通費だけでも出そうか?」 「いえ、結構です。顔を見てお話ししないと、礼を欠くと思ったものですから。」 子会社の社長は何度もうなずいてくれた。その目尻に涙が溜まっているのを、俺は確かに見た。 「それじゃ…。」 俺は別れを告げると、外へ出た。 夕べの台風一過、外は雲一つない快晴であった。 この1週間で、こんなにスカッとした気分になったことは初めてだ。 これで、醜い奴らとはお別れだ。 この忌わしい輪廻の糸は、今日限りで断ち切ってやる。 誰かが言っていたっけ、俺にこのような仕打ちをした連中は、これからの人生でこのカルマを背負い続けるのだ。きっと、ロクな死に方はしないだろう。 俺は、次のステージに上がってやる。 そこは、きっと今よりも一段高い所であるはずだ。 俺は、そう信じている。 信じることで、きっと現実になるだろう。 俺は、永遠のロックンローラーだ。 たとえ貧乏クジを引くことになろうとも、自分の美学に殉じるのだ。 そうすることに、誇りを持って生きるのだ。 限りなく晴れわたった青い空に、一羽の白いカモメが飛んでいった。
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