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カテゴリー別ハードロック・バンド名鑑(英米以外の国&B級編)
なぜか、ハードロック・バンド名鑑(イギリス編)、(アメリカ編)のどちらにも入らなかった大物バンド
フォリナー
AC/DC
スコーピオンズ
ハート


知る人ぞ知る、名バンドの宝庫!1970年代後半のカナダのハードロック・シーン
 私が70年代後半に注目していたのは、カナダのハードロック・シーンでした。私は、カナダのバンドが共通して持っていた、ある音の傾向に魅了されていたのです。それは、ハートの項で軽く触れましたが、リズムはアメリカでメロディ・アレンジはヨーロッパという、英米のミクスチュアー・サウンド。ブリティッシュ・ロックとアメリカン・ロックの、もっともカッコイイ所を融合させた、理想的な音がそこにあったのです。これが、カナダという国家の、複雑な内情によるものであることは、言うまでもないでしょう。
 また、カナダ東部にはケベック州というフランス語圏の地域があり、70年代後半にはここでも独自のロック・シーンが形成されました。しかし、このシーンは、ユーロロックの仲間に分類されるのが一般的です。言語がフランス語であるだけでなく、その音からまったくアメリカの影響が感じられないからです。実は、このシーンも隠れた名バンドの宝庫で、ポーレン、オパス5、マネイジュなどの珠玉の作品群がひしめいております。ケベック州のロック・シーンについては、いずれ別のコーナーで紹介する予定ですので、今回はこれぐらいにしておきましょう。
 さて。
 おそらく、私あたりが語らなければ、誰も後世に伝えなくなってしまうであろう、1970年代後半のカナダのハードロック・シーン。ここでは、代表的な4つのバンドを紹介いたします。

ラッシュ
マホガニー・ラッシュ
パット・トラヴァース
モキシー


なぜか、後に有名になる人達が在籍していた、B級バンド
トラピーズ
スプーキー・トゥース

嗚呼、忘れじのZEPフォロワーズ
 「時間を封印した飛行船」、「リッチー・ブラックモアになった夜」で話題になったように、圧倒的に数が少ないレッド・ツェッペリンのフォロワーズ。ときどき、思い出したようにロックシーンに現われるのですが、例外なく短命でしかも単発的な活動のため、いつも“線”にならずに“点”で終わってしまいます。しかし、数が少ないからこそ、シーンの中で際立った存在になることも事実で、レッド・ツェッペリンのフォロワーズはいつの時代でも音楽ファンの話題の中心でした。
 さて、ここでは、そんなレッド・ツェッペリンのフォロワーズの中で、とくに私の記憶に残っている3組を紹介いたします。

ディティクティブ
キャプテン・ビヨンド
リヴィング・カラー


おまけ:ここで、全体を見直してみたら、大事な2曲を忘れていた
 ということで、私にとっての“ベスト・ハードロック・ナンバー”のうち、もっとも重要な2曲が、今回の名鑑から抜けていることに気がつきました。
 最後の仕上げの、2バンドです。
 これで、今回の特集で取り上げたバンドは、トータルで“50”になりました。メデタシ、メデタシ。
フォガット
リック・デリンジャー
   
「英米混成のスーパーグループ!」フォリナー(FOREIGNER)  
 英米混成なので、(イギリス編)と(アメリカ編)のどちらにも入れられなかったんだよね~。(笑)

 1977年に、シングル「つめたいお前」、アルバム『栄光への旅立ち』でデビュー。
 メンバーは、元スプーキー・トゥースのミック・ジョーンズ(G)と元キング・クリムゾン(!)のイアン・マクドナルド(G&Key)を中心に、デニス・エリオット(Ds)、ルー・グラム(Vo)、アル・グリーンウッド(Key)、エド・ガリアルディ(B)。  

 なにしろ、あのイアン・マクドナルドがいるというので大騒ぎになったんだけど、なぜイアン・マクドナルドだったんだろうかねぇ~?(笑)イアンに関しては、「つめたいお前」のプロモーション・ビデオで左利きであることが判明したぐらいで、後はたいして驚くようなことはなかったと記憶しておりやす。(笑)
 それより、この人たちはヒット・メイカーとして優れていて、「ホット・ブラッディッド」、「ダブル・ビジョン」、「ダーティ・ホワイト・ボーイ」などのポップなハードロック・ナンバーを、次から次へとチャートに送りこんでおりました。ただ俺としては、このあまりにノーテンキな曲調(明るくカラッと乾いている)に、どうしても馴染めなくてね~。あんまり、熱心に聴いたことはないなぁ。どうも、この頃(70年代後半~80年代前半)にアメリカで売れた音(フォリナー、ボストン、スティックス、ジャーニー、TOTO…etc)とは、お友達になれないんだよね。なぜでせう?

 1980年にイアン・マクドナルドとアル・グリーンウッドが脱退。以降は4人で活動を継続させている。85年、シングル「アイ・ウォナ・ノー」が全米1位のヒットを記録。

 たぶん、ルー・グラムの声を好きになれないんだよ。(笑)
 
「ご存じ、オーストラリア代表!」AC/DC
 半ズボンでランドセルを背負った、スクール・ボーイ姿のアンガス・ヤング(G)が一世を風靡しましたな~。

 1975年、アルバム『ハイ・ヴォルテージ』でデビュー。
 メンバーは、アンガス&マルコム・ヤング兄弟(ともにG)、ボン・スコット(Vo)、フィル・ラッド(Ds)、マーク・エヴァンス(B)。

 アンガス・ヤングがね、あの格好でさ、鼻水グチャグチャの顔でギターを弾いている写真を見るまではね、わりとお気に入りだったんだよ。とくに、アルバム『レット・ゼア・ビー・ロック(ロック魂)』がカッコよくって、「ホール・ロッタ・ロージー」なんか最高のロックンロール・ナンバーだと思っていたぐらいなんだ。でも、あの写真一発でアウト~!俺はミーハーだから、ダセーのはイヤなんだよ。同じキッタネー系でも、モーターヘッドは許せるんだけどね、アンガス・ヤングは許せないのよ。このへんの判断基準は自分でもよ~わからんのですが、まぁそーゆーことです。(どーゆーこと?(笑)

 1980年、ヴォーカルのボン・スコットが急死。(酒の飲み過ぎだっちゅーの!)後任に、元ジョーディーのブライアン・ジョンソンが加入。アルバム『バック・イン・ザ・ブラック』は全米1位の大ヒットを記録する。

 これ以降は、どちらかというとヘヴィ・メタル系の仲間に入ってしまうよね。これが残念だね。やっぱ、ボン・スコットのキャラクターが大きかったのかな?ちょっとヤサグレたロックンローラー、って感じの初期の方がイイ感じだったな。ただ、ほんとに、そこにあのアンガス・ヤングのルックスはね~(笑)、合わないと思うけどな~。
 そうそう、忘れるところだったけど、アンガスの兄貴の、マルコム・ヤングのリズム・ギター。地味だけど要注意だぜ~。あの凄みのある音でガリガリこないと、迫力半減しちゃうんだよ。縁の下の力持ち、ってとこだね。シブイぞ、マルコム!

 
「こちらもご存じ、ドイツ代表!」スコーピオンズ(SCORPIONS)
 俺は、「カロンの渡し守」のイントロ1分間に悪戦苦闘した挙句、ハードロック・ギタリストへの道を断念したのだ!(えらそーに言うなって?(笑)

 1971年、アルバム『ロンサム・クロウ』でデビュー。デビュー時には、中心メンバーであるルドルフ・シェンカー(G)とクラウス・マイネ(Vo)、そしてマイケル・シェンカー(G)が在籍していたが、それ以外のメンバーは流動的だった。
 1973年、マイケル・シェンカーがUFO加入のため脱退。後任にウルリッヒ・ロスを迎える。ウルリッヒ・ロスは、“ドイツのジミヘン”と異名を取るテクニシャン。クラシックをベースにした、エキセントリックなハイテク・ギターは後のロック・シーンに多大な影響を与えた。現代を代表するハイテク・ギタリスト、イングウェイ・マルムスティーンも彼のシンパである。また、ウルリッヒと同時期に、フランシス・ブッフホルツ(B)が加入。ドラムス以外が固定メンバーになる。 
 1977年、『狂熱の蠍団(ヴァージン・キラー)』を発表。チャイルド・ポルノを連想させるアルバム・ジャケットが各国で差し換えになる中、ヨーロッパ的な構築美を究めたサウンドが話題になる。1978年、初来日。このツアーから参加したハーマン・レアベル(Ds)は、これ以降固定メンバーになる。
 同年、『暴虐の蠍団』を発表後、ウルリッヒ・ロスが脱退。後任に、マティアス・ヤプスが加入。スコーピオンズが世界的な成功を収めたのは、これ以降のことである。

 断わっておくけど、スコーピオンズが成功したのは、ウルリッヒ・ロス脱退以降なんだよ。これ、かなり重要なことなんだけど、みんな忘れちゃうよね。それ以前は、かなりマニアックなバンドだったんだ。だから、“通”好みの、俺のお気に入りだったというワケ。(って、オマエはエンケンか?(笑)
 でも、ウルリッヒが抜けた時は、「もーダメだ」と思ったけどね。ジミヘン“命”で、スタンド・プレーが目立つ彼を切り捨てて、チームワーク重視のメンバーにチェンジしたことは、“究極の選択”といえるよ。ずっと、ウルリッヒがからむ作品とルドルフ&クラウスの作品には、明らかに断層があったからね。こうでもしなけりゃ、バンドのカラーを統一することはできなかったでしょう。
 そうは言っても、俺にとってのスコーピオンズはやっぱ、ウルリッヒ・ロスだよ。彼の破壊力は、ケタはずれだからねぇ。それでいて、仙人みたいに温和な顔していてさぁ。ウルリッヒについて語り出すと止まらなくなるから、このへんでやめとこうっと。(笑)そのうち、特集でもやるかな?
 
↑ウルリッヒ・ロス在籍時のスコーピオンズ
左から:ルドルフ・シェンカー、ハーマン・レアベル、クラウス・マイネ、フランシス・ブッフホルツ、そしてウルリッヒ・ロス。
ウルリッヒだけ、雰囲気が違うでしょう?(笑)
 
「アメリカ人なんだけど、カナダからデビュー!」ハート(HEART)      
 俺は高校時代に、ハート・ファンクラブに入っていたんだ。ウィルソン姉妹がカワイくってさ~。フン、どうせミーハーだよ。(笑)

 1975年、アルバム『ドリームボート・アニー』でデビュー。シングル「マジック・マン」は、いきなり全米9位のヒットを記録する。
 アン&ナンシー・ウィルソン(Vo&G)以外のメンバーは、ロジャー・フィッシャー(G)、スティーヴ・フォースン(B)。ファースト・アルバム発表後に、ハワード・リース(G&Key)、マイケル・デロジェ(Ds)が加入する。

 初期のハートって、不思議な音だったよ。リズムはアメリカ的な図太いノリのに、アレンジがヨーロッパ調で繊細なんだ。特に、アコースティック・ギターを使った曲が美しくてね。“森と湖と妖精の世界”、って感じだった。(笑)
 衣装なんかもジプシーっぽくて、とてもアメリカ大陸のバンドとは思えなかったね。これが、カナダのバンドの特徴であることに気がつくのは、もっと後になってからだったな。ハートは俺にとって、カナディアン・ロックの原体験だったんだ。

 1978年、アルバム『ドッグ&バタフライ』を最後に、ロジャー・フィッシャーが脱退。これ以降メンバーが安定せず、レコード会社とのトラブルも続き、バンドはスランプ状態に陥ってしまう。

 ウィルソン姉妹とともに重要だったのが、脱退したロジャー・フィッシャーと兄貴のマイケル・フィッシャー(マネージャー)。実は、ウィルソン姉妹とフィッシャー兄弟は、2組の恋人関係にあったんだ。アンとマイケル、ナンシーとロジャー。そして、このフィッシャー兄弟が、バンドのコンセプトを作っていたらしいんだね。
 ところが、この時期に2組とも破局。おかげで、バンドのコンセプトが崩れて、沈没してしまったというワケさ。これ以降のハートは、メルヘンチックな要素が希薄になってしまうんだ。そして急速に、つまらない“並”のバンドになってしまったのさ。バンドの人間関係って、むずかしいんだよね。だから、バンド内恋愛はイカンのじゃ。ゴシップ・ネタだね、これは。(笑)

 1983年、アン&ナンシーとハワード・リースに、マーク・アンデス(B)、デニー・カーマッシ(Ds、元モントローズ)を加え、アルバム『パッションワークス』を発表。85年にはシングル「ネヴァー」が全米4位、87年には「アローン」が全米1位を記録、ふたたびシーンに復活した。

 まぁ、これ以降のハートはおもしろくないんだよね。もう、そのへんによくいる、女性ヘヴィメタル・ロッカーみたいでさ。純朴な娘が、だんだんスレッカラシになっていくのを見ているみたいでさ、痛々しくて俺はイヤだな~。(笑)
 そうそう、忘れるところだった。ハートは、レッド・ツェッペリンのアコースティック・ナンバーに関する、数少ないフォロワーだったと思うよ。

   
↑ああ~、麗しのウィルソン姉妹
黒髪が姉のアン、ブロンドが妹のナンシーじゃ~
    ラッシュ(RUSH)
 俺がリアルタイムで熱狂したのは、このラッシュだ。

 1974年、『閃光のラッシュ』でデビュー。メンバーは、アレックス・ライフスン(G
)、ゲディ・リー(Vo、B、Key)、ジョン・ラトジー(Ds)。
 レッド・ツェッペリンのコピーのようなファースト・アルバムを発表後、ドラムスがニール・パートに交替。ニールは詩人であり、これ以降のバンドのコンセプト作りに貢献することになる。1975年、セカンド・アルバム『夜間飛行』を発表。この時点を、事実上のデビューとするのが、一般的な見解である。

 ラッシュの活動って、ライブ・アルバムで区切られるんだ。『世界を翔るロック』(1976年)までを第1期(『閃光のラッシュ』・『夜間飛行』・『鋼の抱擁』・『西暦2112年』)、『神話大全』(1981年)までを第2期(『ア・フェアウェル・トゥ・キングス』・『神々の戦い』・『パーマネント・ウェイブス』・『ムービング・ピクチュアーズ』)、それ以降を第3期。
 もちろん、70年代後半に当たる、第2期がいちばんカッコイイんだよ。
 まるで、レッド・ツェッペリンとイエスを足して2で割ったような、無機質でメタリックな音。変拍子を多用した、複雑な構造を持つ楽曲。それらは、ブラック・ミュージックの文脈からは、けっして出てこない音だ。
 ゲディ・リーは大道芸人のように、歌いながらベースを弾き、足でペダルベースを操りシンセサイザーを弾く。彼の奮闘により、ラッシュはスタジオ・テイクを寸分違わずにステージで再現できるのだ。まさに、“史上最強のトリオ”。
 アレックス・ライフスンは、ボスCE-1(コーラス・アンサンブル)というフュージョン系のギタリストが愛用していたエフェクターを、はじめてハードロックに持ち込んだ人だ。俺もしっかりマネをしたが、今では当たり前のように聴くことができる音。
 しかし…、
 なぜか、ず~っと、日本国内盤が出なくてね~。
 『パーマネント・ウェイブス』(1980年)なんか、新譜なのに日本では発売されなくてさ~。(笑)海外では、すでにスゴク評価されていたのにね。やっと、『ムービング・ピクチュアーズ』あたりで、ラウドネスのメンバーあたりが騒ぎ出したんだけど。「オメーラ、いまさら何言ってやがんだー!」って感じだったよ。

 1981年発表の『ムービング・ピクチュアーズ』は、間違いなく70年代ハードロックが到達した究極のポイント。これを超える作品には、いまだに出会ったことがない。ただ、これ以降のラッシュはね~、“ポリス”になっちゃうんだよ~。(笑)意味わかる?アルバム聴くと、きっと納得するぜ。だから第3期以降の彼等については、語りたくないんだよ。

↑70年代中盤のラッシュのステージ
アレックス・ライフスン(左)は6弦と12弦のWネック、
ゲディ・リー(右)はベースと12のWネック
なにやら、スゴイ迫力だ!
 
  マホガニー・ラッシュ(MAHOGANY RUSH)
 1973年、アルバム『MAXOOM』でデビュー。メンバーは、フランク・マリノ(G、Vo、Key)、ジミー・エイヨブ(Ds)、ポール・ハーウッド(B)。
 『CHILD OF THE NOVELTY』、『STRANGE UNIVERSE』に続いて、1976年に発表された『鋼鉄の爪(MAHOGANY RUSH4)』がブレイク。一躍、世界のトップ・グループにのし上がる。この頃から、フランク・マリノは、“カナダのジミ・ヘンドリックス”と呼ばれるようになった。続いて、『WORLD ANTHEM』(77年)、絶頂期の熱狂を収録した名盤『LIVE』(77年)を発表。1978年9月に行われた、“カリフォルニア・ジャム2”にも出演。人気を不動のものとした。
 しかし、『TALES OF THE UNEXPECTED』(79年)あたりから、フランク・マリノの健康状態が悪くなり(ドラッグによるものらしい)、同時にバンドの人気も下降して行った。1980年代になって、弟のヴィンス・マリノ(G)を加えた4人編成になったり、ジミー・エイヨブが脱退したりしたが、その後もカナダやアメリカのクラブを中心とした活動を続けているらしい。

 このバンドについては、特集記事を書いているので、そちらを読んでくれい。まぎらわしい名前だけど、RUSHとはぜんぜん関係ないからね。(笑)ツイン・ギターのハモりも美しい「WORLD ANTHEM」は、X-JAPANがカヴァーしていたっけ。

   
↑マホガニー・ラッシュ
左から、フランク・マリノ、ポール・ハーウッド、ジミー・エイヨブ
    パット・トラヴァース(PAT TRAVERS)
 今までの俺の人生で、「あ~!俺、こーゆーのやりたいんだよ~」と叫ばせたレコードが、2枚だけあった。1枚はエアロスミスの『ロックス』。そして、もう1枚がこのパット・トラヴァースの『パット・トラヴァース・ライブ!』だ。

 パット・トラヴァースは1976年、アルバム『パット・トラヴァース』でデビュー。その後、『メイキン・マジック』、『プッティング・イット・ストレイト』と2枚のアルバムを発表。1978年、4枚目のアルバム『ヒート・イン・ザ・ストリート』からメンバーが、パット・トラヴァース(G、Vo)、パット・スロール(G、元GO~オートマティック・マン、のちにヒューズ&スロール・バンド)、ピーター・“マーズ”・コウリング(B)、トミー・アルドリッジ(Ds、元ブラック・オーク・アーカンサス、のちにオジー・オズボーン・バンド~ホワイトスネイク)となり、黄金期を迎える。
 このメンバーで、『パット・トラヴァース・ライブ!』(1979年)、そして『クラッシュ・アンド・バーン』(1980年)を発表。

 ファンキーなリズムに、プログレっぽいギター・アレンジ。相棒のパット・スロールは、エコーやヴォリューム・ペダルを多用し、キーボード的なギター・プレイを聴かせる。しかし、基本はあくまでハードロック!パット・トラヴァースのリフを中心に、ガツンガツンくるのが、実にキモチイイんだ。当時、パット・トラヴァースには、“カナディアン・アックスボンバー”というアダ名がつけられていたっけ。(笑)
 1980年代以降のパット・トラヴァースは、紆余曲折の末、ブルースを主体にプレイをするようになってしまったんだ。したがって、彼のキラメクようなプレイが聴けるのは、あくまでも70年代のみ。突然変異的に脱皮した時期なんだね、きっと。
 俺、バンド活動を再開する前(2000年)に、過去の自作曲集を編集したんだけど、これが見事にパット・トラヴァースなんだよね。(笑)楽屋ネタをバラすようだけど、ジョー・ペリー+パット・トラヴァース÷2になりたかったんだよ。マジな話し。

↑テキヤの兄ちゃんではない!
“カナディアン・アックスボンバー”、パット・トラヴァースである!
    モキシー(MOXY)
 18才の時にやっていた“WIZARD”っていうバンドで、このモキシーの曲をコピーしたんだ。「セイルオン・セイラウェイ」っていう、ファースト・アルバムに入っている曲だったな。

 1976年、アルバム『モキシー』でデビュー。あのトミー・ボーリンが、ファースト・アルバムのレコーディング・セッションに参加している。
 メンバーは、バズ・シェアーマン(Vo)、アール・ジョンソン(G)、バディ・ケイン(G)、テリー・ジュリク(B)、ビル・ウェイド(Ds)
 同年、セカンド・アルバム『モキシー2』を発表。“パブ・バンドが一夜にしてヘッドライナーになった”と報道されるほど、カナダ国内では人気が大爆発していた。

 サウンド的には、あきらかにレッド・ツェッペリン・フォロワーズだね。ファースト・アルバムに収録されている、「キャント・ユー・シー・アイム・ア・スター」なんて、モロZEP!『フィジカル・グラフィティ』あたりに入っていても、ぜんぜん違和感を感じないと思うよ。俺たちがコピーした、「セイルオン・セイラウェイ」もそんな曲だったよ。ちなみにカナダでは、レッド・ツェッペリンとイエスの人気が高かったらしい。

 1977年にサード・アルバム『ライディン・ハイ』を発表した直後から、バズ・シェアーマンが酒とドラックで体調を崩し、バンドは急速に勢いを失ってしまう。バズ・シェアーマンはその後、オートバイ事故で死去。モキシーは、あまりにも短命に終わってしまった。

 短命だったから、余計に印象に残っているんだろうね。でもこういうストーリーって、なんか“ロックンロール”を感じちゃうんだな~。(笑)
 まぁ、音楽ファンの記憶からは、きれいに消えてしまっているんだろうな。CD化もされていなししね。でも、断言しておくぜ、「中古LPを見つけたら、即買うべし!」。絶対に損はしないよ、というよりむしろ俺に感謝したくなるはずだぜ~。(笑)

↑たいへん貴重な、モキシーのメンバーの写真
しかし…、誰が誰やら、わからんのであ~る(笑)
 
トラピーズ(TRAPEZE)
 1969年、アルバム『TRAPEZE』でデビュー。
 当初は5人編成だったが、セカンド・アルバム『MEDUSA』(70年)からトリオになる。メンバーは、グレン・ヒューズ(B、Vo、のちに
ディープ・パープル)、メル・ギャリー(G、のちにホワイトスネイク)、デイヴ・ホランド(Ds、のちにジューダス・プリースト)。
 この3人は、『MEDUSA』と次の『YOU ARE THE MUSIC…WE'RE JUST THE BAND』までで、その後、グレン、デイヴが順に引き抜かれ、1981年にトラピーズは消滅した。しかし、1993年に3人はバンドを再結成した。

 イギリスのグループなのに、アメリカっぽいミョーなサウンドだった。それも、ブルースではなく、ソウルっぽいんだよね。ま、いわゆる“B級”の音だね。こりゃ、売れないだろ。(笑)
 “グレン・ヒューズが在籍していたバンド”として有名だけど、けっして彼のワンマン・バンドではないんだね。むしろ、3人バンドとして、ガッシリとまとまっている感じを受けるはず。そしてなによりも、音楽を楽しんでいるという雰囲気が伝わってくる。不思議なバンドだよ。
 ジョニー・ルイス&チャーに「YOU'RE LIKE A DOLL BABY」という名曲があるけど、この曲の元ネタがトラピーズの「YOU ARE THE MUSIC」という曲。(『YOU ARE THE MUSIC…WE'RE JUST THE BAND』収録)チャー本人がそう言っているんだから、間違いないだろうけど、ギターのリフなんかそっくりだよ。チャー・ファンは、それだけで一聴の価値あり。(笑)
   
↑トラピーズ
左から、メル・ギャリー、デイヴ・ホランド、グレン・ヒューズ
 
スプーキー・トゥース(SPOOKY TOOTH)      
 1968年、アルバム『IT'S ALL ABOUT』でデビュー。
 メンバーは、マイク・ハリスン(Vo、P)、ゲイリー・ライト(Vo、Org、のちに
ソロになり『夢織り人』が大ヒットする)、ルーサー・グロブナー(G、のちにモット・ザ・フープル)、グレッグ・リドレー(B、のちにハンブル・パイ)、マイク・ケリー(Ds)。
 このメンバーで、『SPOOKY TWO』(69年)を発表。これ以降は、メンバーが流動的になる。最後期には、ミック・ジョーンズ(G、のちにフォリナー)が在籍したことで有名。

 スプーキー・トゥースって、いいバンドだよ。俺は好きだな。知らない人には、ぜひ聴かせてあげたくなるよ。メジャーになれなかったのは、おそらくメンバーが流動的だったからでしょう。残念だね。
 ルーサー・グロブナーがタダ者でないことは、「EVIL WOMAN」(『SPOOKY TWO』収録)を聴けばわかるよ。後にリッチー・ブラックモアが得意技とする、和音を分解したようなトリル(当時は、クラッシング・コード奏法と呼ばれていたらしい)をここで披露しているんだ。あまりにも、華麗にキメているので、ギター弾きは一聴の価値あり。
 この他にも、「LAST PUFF」(『THE LAST PUFF』70年発表)なんていう名曲も残していて、“隠れ名盤”、“隠れ名曲”の宝庫なんだ。B級バンドのカガミだな。(笑)
 ツイン・ヴォーカルにツイン・キーボード。ザ・バンドや「タバコ・ロード」のカヴァーなんかして、アメリカン・サウンドをイギリス流にアレンジしていたんだね。でも、トラピーズもそうだったけど、アメリカン・サウンドを狙ったイギリスのバンドって、B級で終わっちゃうことが多いように感じられるんだけど。これは、気のせい?

 トラピーズとスプーキー・トゥースの共通点は、“ソウルフルなヴォーカリストがファルセットで歌うところ”。いち早くここに気がついたあなたは、“B級バンド通”?

   
↑名盤『SPOOKY TWO』のジャケット
      ディティクティブ(DETECTIVE)
 レッド・ツェッペリンが設立した、“スワンソング・レーベル”からデビューしたスーパーグループ。
 1977年春に、アルバム『直撃波(DETECTIVE)』でデビュー。メンバーは、元シルヴァーヘッドのマイケル・デ・バレス(Vo、のちにパワー・ステーション)と元イエスのトニー・ケイ(Key)を中心として、マイケル・モナーク(G)、ジョン・ハイド(Ds)、ボビー・ピケット(B)。
 デビューと同時に、“第2のレッド・ツェッペリン”と称されたが、同年暮にセカンド・アルバム『衝撃の共同体(IT TAKES ONE TO KNOW ONE)』を発表した後、ほどなくして自然消滅。あまりにも短命であったため、活動の記録もほとんど残っていない。

 とにかく、ZEPそっくりだった。何が似ているって、ドラムがそっくりでね。ジミー・ペイジは、ボンゾの後任にジョン・ハイドを考えたことがあるのだろうか?音といい間の取り方といい、ここまでボンゾに生き写しのドラマーって、見たことないよ。
 なにしろ、“スワンソング・レーベル”からデビューだからね。ジミー・ペイジも、だいぶ首を突っ込んでいたらしいし。そう考えると、ZEPそっくりにならないハズがないよね。もっとも、メンバーはそれがイヤだったらしいけど…。ジミー・ペイジは、自分達の後継者を自分で育てるつもりだったのかしら?
 それにしても、マイケル・デ・バレスとトニー・ケイ以外のメンバーは、これ以降まったく行方不明になってしまうんだから、“偉大なる一発屋(アルバムは2枚残しているが)”でしょうね。ただし、いつまでも俺の記憶に残る、一発屋だよ。セカンド・アルバムなんか、今聴いても「カッコイイ~!」と思うよ。シビレまくっちゃったんだけどね~、この音。そうそう、ギタリスト(マイケル・モナーク)はね、キース・リチャードそっくりだったんだよ。(笑)
 
↑“貴公子”マイケル・デ・バレス
  キャプテン・ビヨンド(CAPTAIN BEYOND)
 ディープ・パープル・ファミリーに入れられてしまうことが多いけど、サウンドは明らかにZEPフォロワーズ。
 1972年、アルバム『キャプテン・ビヨンド(CAPTAIN BEYOND)』でデビュー。メンバーは、元ディープ・パープル(!)のロッド・エヴァンス(Vo)、元ジョニー・ウィンター・グループのボビー・コールドウェル(Ds)、元アイアン・バタフライのラリー・“リノ”・ラインハルト(G)とリー・ドーマン(B)。
 翌1973年、ボビー・コールドウェルが脱退し6人編成となり、セカンド・アルバム『SUFFICIENTRY BREATHLESS』を発表。その後しばらくして、バンドは自然消滅した。

 『キャプテン・ビヨンド(CAPTAIN BEYOND)』は、“隠れ名盤”としてあまりにも有名。パープル・ファンがこぞってこのアルバムを聴いたが、ぜんぜんパープルっぽくないので、みんなビックリしていたよ。(笑)
 ロッド・エヴァンスがパープルに在籍していたのは、まだ“様式的ハードロック”を確立する以前のことだから、キャプテン・ビヨンドがパープルっぽくないのは当たり前のことなんだけどね。どうも、あの一族はみんな同じような音を出すものと、先入観を持たれているようだ。(笑)
 やはり、ボビー・コールドウェルがボンゾっぽい。リフを中心としたソリッドな音は、今聴いても新鮮だよ。そして、アメリカ人のメンバーが多いわりには、ブルースの匂いがあまりしない。これも、このバンドのおもしろいところだろうね。
 まぁ、ロッド・エヴァンスに関しては、いつまでもパープルのメンバーを恨んだりしないで(1980年、ロッド・エヴァンスは“ディープ・パープル”を名乗り、アメリカン・ツアーを敢行。本家をパロったようなステージを行い、リッチー・ブラックモアとロジャー・グローヴァーから訴えられた。)、キャプテン・ビヨンドを続ければよかったんだよ。アンタがやればできることは、キャプテン・ビヨンドのファースト・アルバムで証明済みだろう?でも、そうならなかったのが、人生の難しさなんだろうね。

 
リヴィング・カラー(LIVING COLOUR)
 80年代終盤に突如として現れた、“黒いZEP”。
 1988年、アルバム『VIVID』でデビュー。メンバーは、ヴァーノン・リード(G)、コリー・グローヴァー(Vo)、マズ・スキリングス(B)、ウィリアム・カルホーン(Ds)。1989年の第32回グラミー賞「ベスト・ハードロック・パフォーマンス」を受賞。翌1990年、セカンド・アルバム『タイムズ・アップ』で、2年連続グラミー賞を受賞。1990年代中盤以降は解散状態にあったようだが、昨年『モントルー・ジャズ・フェスティバル2001』で突如、復活。健在ぶりを見せつけてくれた。
 
 このバンドだけ、70年代ではないけど、許してくだされ。(笑)
 黒人だけのバンドなのに、ブルースでもソウルでもファンクでもない、生粋の“ハードロック”・バンドだ。これは、そーとー珍しい存在なんだよ。ウソだと思ったら、探してごらん?レニー・クラヴィッツぐらいまで、ひとりもいないハズだから。
 で、サウンド的にはZEPフォロワーズなんだな。
 ウィリアム・カルホーンのドラムもさることながら、コリー・グローヴァーがロバート・プラントっぽいんだよ。華麗でしなやかで、カッコよかったね。ヴォーカルがZEPっぽいっていうのは、あまりいないよね。そういう点でも、貴重な存在といえるでしょう。
 せっかく復活したんだから、ずっとガンバッテもらいたいもんだ。ホント、応援してるぜ。21世紀になっても、まだ見たいと思う、唯一の“ハードロック”・バンド。そう、“ヘヴィー・メタル”と呼ぶなよー。(笑)

フォガット(FOGHAT)
 「フール・フォー・ザ・シティ」だぜー!
 1972年、アルバム『フォガット』、でデビュー。
 60年代後半に活躍したイギリスのブルース・バンド、サヴォイ・ブラウンのメンバーだった、ロンサム・デイヴ(Vo、G)とロジャー・アール(Ds)によって結成。2人以外のメンバーは、ロッド・プライス(G)、ニック・ジェイムソン(B、のちにクレイグ・マクレガーに交替)。
 名曲「フール・フォー・ザ・シティ」は、5枚目のアルバム『フール・フォー・ザ・シティ(FOOL FOR THE CITY)』(75年)のタイトル曲。

 カッコイイんだよ~、この曲。ここで聴かせられないことが、非常にもどかしいのだ。70年代にはラジオでよくかかっていたから、タイトルは知らなくてもメロディを知っている人は、かなり多いんじゃないかな?
 フォガットは、“ハードロック”というよりは“ハードロックンロール”。このバンドもイギリスというよりは、アメリカっぽいサウンドだね。ライブがスゴかったらしくてね、1977年に発表された『ライブ』も名盤だよ。ただ、これ以降、急速に精彩を欠いてしまったのが残念。
 とにかく、ツイン・ギターのカラみがサイコー。乾いたロックンロールやらせたら、イギリスNo1だと思うけど、今じゃ“知る人ぞ知る”バンドになってしまった。ぜひ!みんなに知ってもらいたいバンド、なのじゃ~。(笑)

   
リック・デリンジャー(RICK DERRINGER)
 「ロックンロール・フーチー・クー」だぜー!
 1947年生まれ。1965年、マッコイズでデビュー。シングル「ハング・オン・スリーピー」は、全米No1ヒットを記録。“王子様”のような美少年だったため、一躍トップ・アイドルの仲間入りをする。
 その後、ジョニー・ウィンターと知り合い、プロデューサー兼ギタリストとして、バンドに参加。ジョニーと別れた後は、弟のエドガー・ウィンターのバンドに参加。ウィンター兄弟の70年代を支える、“名参謀”として活躍した。
 1973年に、初のソロ・アルバム『オール・アメリカン・ボーイ(ALL AMERICAN BOY)』を発表。「ロックンロール・フーチー・クー(ROCK AND ROLL, HOOCHIE KOO)」は、同アルバムの1曲目である。
 1977年には、自身のバンドであるデリンジャーを結成した。

 エアロスミスなんかがやっているような、アメリカン・ハードロックの原型が「ロックンロール・フーチー・クー」。これまた、文句なしにカッコイイ。基本的にギター2本のアレンジになっているので、ライブで受けるんだよね。
 リック・デリンジャーが、エドガー・ウィンター・グループとこの曲を演奏している映像があるけど、見たことある?リックって小柄なのに、すんごくパワフルなんだ。そして、ギター・ソロを弾く時に、白眼を向いてイッちゃってる姿は、かなりアブナイ。(笑)やっぱ、ラリパッパーだったのかなぁ?なにしろ、ジョニー・ウィンターと知り合った場所は、“精神病院”だからね。(?でも、ホントの話しよ)
 デリンジャーってバンド全員が、当時新興ブランドだった「BCリッチ」のギターを使っていたっけ。おかげで、リック・デリンジャー=BCリッチ・モッキンバード、ってイメージがあるな。
 俺がはじめて買った、「Player」誌の特集記事は、リック・デリンジャーだった。その記事の写真で彼が弾いていたギターは、オリジナルのギブソン・エクスプローラ。“ギター小僧”、っぽいんだよね~。また、“小僧”って単語が、似合うんだよな~。(笑)