たたかふ、ちうねんろっかぁ

第1話「一日だけのヒーローになるために」
 2002年12月14日。
 吉祥寺のライブハウス『曼陀羅2』において、『LOOSE CONNECTION』が復活した。
 1984年の冬以来、実に18年ぶりの公式ライブである。

 1年前の2001年12月16日。
 俺は、ネットで再会した大学時代の後輩、高橋よしあきとこのステージに立った。
 よしあきは、この年の5月に俺が開設したHP、『web-magazine GYAN GYAN』の掲示板へアクセスしてきたのだ。そしてよしあきは、俺に『中央大学軽音楽同好会OB・忘年会』の存在を教え、その年のステージにいっしょに立つことを提案したのである。

 『LOOSE CONNECTION』というバンドが消滅し、“宅録”という手段で音楽活動を継続させようと決心したのは、1990年のことだった。ひとりになっても、音楽は続けられるはずだ。俺は、そう信じていた。しかし、わずか3年程度で、“宅録”という手段は限界に達してしまった。そして、語るべきものを失った俺は、いったん音楽から離れた。

 プラモデルばかり作っていた俺を、ふたたび音楽の世界へ引き戻してくれたのは、会社の昼休みに立ち読みした雑誌、シンコーミュージックの『ニュー・ルーディーズ・クラブ』だった。『ニュー・ルーディーズ・クラブ』は、作家の山川健一さんが主催していた音楽雑誌で、当時一般からの原稿を広く募集していたのである。俺は、音楽に対するありったけの情熱を注いだ文章を、編集部に送った。山川さんは、そんな俺の文章を高く評価してくれた。そして俺は、『ニュー・ルーディーズ・クラブ』のライターのひとりになった。1999年のことである。

 “文章”という新しい手段で音楽活動を再開した俺だったが、順風というわけにはいかなかった。2000年の夏、『ニュー・ルーディーズ・クラブ』編集部が、突如分裂してしまったのである。そして、編集長の山川さんは、部下のクーデターによってシンコーミュージックを追われてしまった。残ったスタッフが創刊したのが、『ロックジェット』である。俺は、胡散臭い連中と行動を共にすることをためらい、あくまでも山川さんと行動することにした。
 しかし…。

 その年の暮れ、山川さんから一通のメールが届いた。
 内容は、『ニュー・ルーディーズ・クラブ』の復刊をあきらめるから、キミは他の媒体で活動を続けてくれ、というものだった。
 俺には、“文章”という手段で、音楽を継続することもできないのか?
 しかし俺は、運命の奔流に抵抗を試みた。
 他の媒体?
 もう他人など当てにするか。こうなったらひとりでやってやる。


 

↑2002年12月14日『曼陀羅2』において、左:高橋よしあき、右:俺。
俺が抱えているのは、フェンダー・ストラトキャスター1957年型(リイシュー)

 2001年2月、俺はHPを作成し始めた。
 インターネットを利用すれば、マイペースで活動を継続することができるはずだ。俺はそう信じた。そして、2001年5月4日、『web-magazine GYAN GYAN』が誕生したのである。
 ここから、すべてが始まった。

 よしあきと音を出し始めた、2001年の11月頃。ふたたび、山川さんからメールが届いた。それは、原稿の依頼であった。山川さんは、俺が『web-magazine GYAN GYAN』に掲載していた文章を、自分が運営している週刊『文学メルマ』へ連載させたいと申し出てきたのだ。そして、山川さんは俺に対して、破格の原稿料を提示してくれた。 

 何かが、動き始めていた。
 そんな、2001年12月16日。
 よしあきとステージに立った『曼陀羅2』で、俺はひとりの男と出会った。
 ITOである。
 
 ITOは、ある宴会バンドで、ベースを弾いていた。初めてITOのベースを耳にした俺は、酩酊状態であるにもかかわらず鳥肌を覚えた。地を這うように重いが、よく歌うベース。こんな剛腕ベーシストにお目にかかったのは、ひさしぶりのことだ。俺は、ステージ終了直後に、楽屋で着替えていたITOを“襲撃”した。
 「オマエ、いいベース弾くじゃん。」
 ITOは恐縮しながら、あいさつをした。
 「俺といっしょにバンドやらねぇか?連絡先を教えろ。」
 ITOは、こんなブッキラボーな俺の問いかけに、すんなりとOKを出してくれた。
 こうして俺とITOは、新バンドを結成することになったのである。

 ITOといっしょに、その宴会バンドに在籍していたドラマー、SHIBAが新バンド加入を承諾したのは2002年1月のことだ。俺とSHIBAは、すでに大学時代から旧知の間柄である。SHIBAは、スネアの一打にも妥協を許さない、職人タイプのドラマーだ。叩き出すビートはタイトで、鋭い切れ味を誇る。そして、なによりも実直な人柄に好感が持てるのだ。その後SHIBAは、俺との新バンドに集中するために、その宴会バンドをあっさり辞めてしまったのである。

 2002年3月、長年いっしょに活動していたmarcが新バンド加入を承諾してくれた。
marcは、『LOOSE CONNECTION』でヴォーカルをやっていた男だ。ベーシストが脱退した後半では、ベースも弾いている。低音でじっくり歌い上げるmarcは、声に独特の艶っぽさがあるだけでなく、存在そのものに“華”がある。いわゆる、“スター性”を身に付けている男なのである。そして、なによりも、俺のギターと相性がいい。

 こうして、4人組になった俺達は、2002年4月20日に初練習をした。

 

 

 

↑marc(VOCAL)
↓左:ITO(BASS)、右:SHIBA(DRUMS)

 俺は意識的に、バンドの方向性を限定しなかった。アメリカン・ハードロックからブルース・ロックまで、ありとあらゆる可能性を試してみたかったのだ。そして、メンバー全員が、のびのびと自分の主張をすることを願っていた。marcはさかんに、「“バンド”ではなく、“コラボレイト”である」ことを強調した。

 俺達は、廻り道をしながら、しかし確実に自分達の方向性を模索した。
 そして、メンバー全員がそれを意識し始めたのは、練習を始めてから半年近くが経過した、2002年の9月頃のことである。うまい表現が見当たらなかったので、俺達はそれをとりあえず“グラムロック”と呼んだ。しかしそれは、70年代の“グラムロック”をリメイクすることではなかった。あらゆる音楽の要素を取り込みながらも、あくまでもヴォーカル中心のポップな音作りをすること。そして、ロック特有のきらびやかさを忘れないこと。そんな気持ちをこめて、俺達は“グラムロック”という単語を使ったのである。

 一度方向性が見えたら、後の仕上がりは速かった。わずかの期間にレパートリーが増え、12月のライブに向けた準備が整いはじめた。ITOのフレットレスベースが唸り、
SHIBAのビートが力強く雄叫びを上げ、marcが妖艶な声に磨きをかけた。
 そして俺はこの頃、『LOOSE CONNECTION』を名乗ることを決心したのである。

 『LOOSE CONNECTION』は、かつてのドラマーが提案した名前である。
 “テキトーな距離を置いた、イイ感じの関係”という意味らしい。俺は、バンドというよりはセッションに近かった、当時の自分達の関係を明確に表現した、この名前がたいへんお気に入りだった。バンドというものは、メンバーのオリジナル曲を発表する場所ではない。メンバー全員が音で自己主張をし、結果的に当人達が予想だにしなかった音が出てきて、しかるべきである。これが、俺達の持論であった。marcが言う、「“バンド”ではなく、“コラボレイト”である」ことは、まさにこのことを指している。

 残念ながら、山川さんと俺の“コラボレイト”は長続きしなかった。週刊『文学メルマ』は、2002年10月に廃刊になってしまったのである。しかし俺は、そこから得た収入で、新しいギターとエフェクター、そしてステージ衣装を購入した。ここ数年の俺の活動すべてが、バンド活動再開という1点に集約された感があった。

 そして、その日がやって来た。
 2002年12月14日。
 『LOOSE CONNECTION』は、ついに長い眠りから目覚めた。
 俺は意識的にギターの出番を抑え、バンド全体のサウンド作りに集中した。おかげで、バランスのとれた、タイトな音が仕上がった。俺は歌は苦手であったが、marcに請われるままバッキング・ヴォーカルにも挑戦してみた。marcは、そんな俺の変化がうれしかったようだ。ITOとSHIBAがのびのびと自己主張をする中、俺とmarcは歌った。
 「We can be HEROES, just for one day」
 
 ここは、ゴールではなくスタートである。俺達は、第一歩を踏み出したばかりなのだ。そして俺は、この状態がずっと続くとも思っていない。人生とはそんなものだろう。
 しかし、俺は実感した。
 このドアの向こう側に、別の世界が存在していることを。
 そして、
 ドアを開けなければ、何も始まらないということを。

 

 

 

↑↓“問答無用”の俺である。今年の俺が抱えているのは、バッカスのハンドメイドレスポール、DUKE-STANDARDである。くどいようだが、俺の本職はサラリーマンだ。
date: 2002.12.14(土)
place: 吉祥寺・曼陀羅2
1, HELLO I LOVE YOU(THE DOORS)
2, HEROES(DAVID BOWIE)
3, TOMORROW NEVER KNOWS(THE BEATLES)
4, ZIGGY STARDUST(DAVID BOWIE)
5, SUFFLAGETTE CITY(DAVID BOWIE)
6, GET IT ON(T-REX)
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